魚村 晋太郎


なくでない泣いてはならぬと鳴く蝉の津浪のごとき号泣にあう

安森敏隆『百卒長』(2008年)

蝉は日本人には親しみのある昆虫で、万葉集にも、古今、新古今にも蝉の歌はみえる。
もともとは熱帯や亜熱帯に多い昆虫で、ヨーロッパでは、地中海沿岸以外では知られていない。
ギリシアで生まれたイソップ童話の「蟻ときりぎりす」は、もとは「蟻と蝉」だったが、ヨーロッパに伝わったときに蝉がきりぎりすに置き換わった。
16世紀末に天草で刊行されたローマ字綴りの翻訳『伊曾保物語』では、「蟻と蝉」だったが、明治時代にヨーロッパ経由の「蟻ときりぎりす」の訳本が登場し、こちらがよく広まった。

3日とか1週間というのはおおげさだが、数年におよぶ長い幼虫期間にくらべて成虫になってからの寿命は2~3週間と短い。
短い命を燃焼するような激しい鳴き声のはかなさに、長いあいだ日本人はこころをよせてきた。

ひとを亡くしてかなしみにくれているとき、降りしきる蝉の声が、泣いてはならぬ、と戒める亡くなったそのひとの叱咤の声のように聞こえてきた。
それは、亡きひとの意思を継いで生きようとする主人公の内面のつよい決意の声でもある。
でも、どんなに歯をくいしばっても、ずっと自分を導いてくれたひとがいまはいないのだというかなしみは、津波のようにまた主人公をのみこんでしまう。

自分を叱咤するように聞こえた蝉の声が、いつしか自分とともに大切なひとの死を悼む号泣のように聞こえてきた。
身をしぼるような一首のねじれが、ひとを亡くしたこころの空洞の嵩を赤裸裸にうったえている。
作者は2005年の夏、師と仰ぐ塚本邦雄と金子元英を相次いで亡くした。
その夏を哀悼する連作の一首である。

「蝉」の字は虫へんに「憚」の右側を書くのが正しい字。「蝉」は初期のワープロでの表示や印刷のために作られた字体で、新字ですらない。
最近やっと正しい字が、パソコンでも使用できるようになったが「環境依存文字」なので、今回は「蝉」の字で代用します。
お知らせ下さった皆さん、ありがとうございます。