都築 直子


死を畏れぬ秋の正餐をあはれみし竹山広も死の側のひと

古谷智子『立夏』(2012年)

 

三年前のきょう3月30日に、竹山広は90歳で死去した。

死を畏れない秋の正餐をあわれんだ竹山広もまた、死の側のひとになった、と歌はいう。詞書に、<死などなにほどのこともなし新秋の正装をして夕餐につく 春日井建 >が置かれるが、古谷の一首は詞書の歌と共に竹山広の歌をも踏まえており、竹山作品を知らない読者にはいまひとつ判然としないだろう。

 

じつは私は、勝手に「春日井建の最晩年の弟子」を名乗る者だ。3月26日の本欄で述べたとおり2002年に歌書歌集を読みあさったのだが、ほどなく『未青年』と出会って春日井建に師事した。そういう者として、春日井の長年の弟子である古谷智子が作ったこの歌の背景をかいつまんで記したい。

 

死などなにほどのこともなし新秋の正装をして夕餐につく   春日井建

初出1997年「雁」12月

<死などなにほどのこともなし>かく詠ふ人も苦しみて死へ渡るなり   竹山広

初出2001年「短歌往来」1月号

 

古谷作品が踏まえる二首だ。

春日井の一首は、短歌というより啖呵というべき作である。「死などなにほどのこともなし」という挑発フレーズが、いかにも春日井建だ。容赦がない。発表当時、そこまで言うか、と思う読者も多かっただろう。その後、1999年に発病した春日井は、同年の「短歌研究」5月号に掲載した<エロス――その弟的なる肉感のこののちも地上にわれをとどめよ>(歌集『井泉』収録時は三句「いつまでも」)を皮切りに、病に取材した歌を発表しはじめる。

 

竹山広の一首は、そうした中で発表された。春日井作を前に「そこまで言うか」とつぶやいた読者は、竹山作を前に言葉をのんだかもしれない。「苦しみて死へ渡」りつつある当人は、たぶんこの歌を目にするのだ。私は、全歌集に収録された竹山作を春日井の存命中に読み、竹山広の肝の据わりように驚いた。この容赦のなさ。実作者として見習いたい、見習えるか、と自問した。

竹山作発表の三か月後、春日井は竹山への返歌とも読める一首を発表している。

 

失ひて何程の身ぞさは思へいのちの乞食は岩盤に伏す   春日井建

初出2001年「短歌」4月号

*「乞食」に「こつじき」のルビ

 

2004年5月22日、春日井建は死の側の人となり、2010年の今日、竹山広もまた死の側の人となる。

冒頭の一首により、古谷智子は容赦なくうたう短歌の系譜を引く作者となったのである。

 

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