杉崎恒夫『パン屋のパンセ』(2010年)
くもるところ一つとてなく、どこまでもひろがる銀河宇宙。
いったいその果てはどうなっているのだろう、という謎を謎としたまま、日々、自分が日常を生き得ていることが、時に不思議になる。
だが、そのことをいったん頭に浮かべると、体が透けてしまいそうな、たよりない感じを覚える。それでも考え続けると、こわくてたまらなくなる。
思えば、ミステリアスなこの宇宙のことを、普段は忘れていられることは、ひとつの恩寵であるのかもしれない。
家の壁に、この頃はあまり釘を打ちつけたりはしないようだが、ちょっとした小物を掛けておくフックというのは、生活空間に必要だ。
わが家でも、鍵や輪ゴム、それに鍋つかみといったものがかかっている。
人間の原初的な不安、さびしさを、生活感の濃い、小さなものに結びつける、この歌の力業におどろく。
このように、日常感が濃く、堅固で、小さなものによってこそ、確かにたましいはつなぎとめられ、落ち着くようだと、「釘」の一語をみて思う。
だが、その「釘」がない。
しかし、ない「釘」はあきらかに読む者の胸に残像となって残り、(ないながら、たましいの場所として残り)、かつ、ふたたび歌のはじめにもどって、宇宙の無辺の光と闇を、美しさをしみ通らせる。
たましいは、広大な宇宙と相通じるなにものかなのだろうけれど、それが生身の人間に在る間は、「釘」がいる。四句目、「たましいを掛けて」の一字の字余りは、そんなたましいのささやかな重さをつたえているようで、せつない。