平安のかたちを保ちゐし雲の夕されば涅槃のいろにくづれぬ

上田三四二『鎮守』(1989年)

 上田三四二も病気に苦しんだ歌人である。四十代半ばに結腸癌。その後再発に怯えながら、二十年近くをすごし、1984年に前立腺腫瘍の摘出手術を受け、1989年1月8日に亡くなる。66歳だった。

その前日が昭和天皇の崩御の日であり、この年は、手塚治虫や松下幸之助など、昭和時代を築き上げた人びとが多く亡くなったような印象がある。私の父も、この年の春に亡くなっている。61歳であった。父は、手塚治虫と同じ年の生まれであった。どうでもいいことであるが、長かった昭和が終わった年として印象に残っている。

病歌人に雲の歌が多いのは、その置かれた環境にもよるのだろうが、ぼんやりと空を見上げることが多くなるのもたしかだ。健康な時にはなにげなく見すごしていたものが、意味を持ってみえてくる。空にある雲も、その一つだ。

 

夏雲のかたちくづれてちりぢりにはかなきかたに流れてゆきぬ 『照徑』

けふひとひわが窓を過ぎし雲のかずをはりの雲は夕焼けてゐつ

 

この二首は、1984年秋、前立腺全摘手術受ける際の作品である。詞書に「癌研附属病院泌尿器科に入院」とある。手術は成功して、退院するが、「定命をさとる。」と年譜にある。次の絶唱が生まれるのは、この時である。

 

みめぐみは蜜濃(こま)やかにうつしみに藍ふかき空ゆしたたるひかり

半顔の照れるは天の輝(て)れるにていづこよりわが還りしならん

 

そして、その後も雲の歌はつづく。

 

秋山にあそぶ夕雲もみぢ照り雲照りもみぢと雲と照りあふ     『鎮守』

病むわれの一日(ひとひ)はひとの百日(ひやくにち)にして秋惜しも雲の夕映

空ゆかぬにはとりゆゑにかなしきか水呑むととほき雲をぞ仰ぐ

うつし世は空ゆく雲にひかりあり夕まぐれまた赤光(あかひかり)さす

土を踏むことなき日々に足萎えは雲踏む夢を見つつねむらん

 

上田最後の歌集『鎮守』後半の雲にかかわる歌から引いた。雲にその日その日の生命の力を測っているかのような印象がある。病勢の深まりに添って雲もやがて夢の中のものになる。

今日の一首は、まだ余裕がある時期の歌だ。えごの花とかたばみの花をうたった作品に挟まれて置かれている。上田は晩年に仏教への理解を深めている。信仰に至ったとは思われないが、死へ向かう心身の認識が、仏教への理解を親密なものにしたようである。「涅槃」の語も、そうした上田の仏教理解から出た言葉であろう。冷静に死を受け容れようとする意識があるのだろう。死は、もとより人間のそんな意識を超えてやってくるのではあるが。