花々に埋もれてわれも風のなき柩のなかにひと世終へんか

山中律雄『変遷』(2014)

 

作者は秋田の小さな山村で禅宗の寺院の住職をしている。従ってこの歌集にも弔いの歌が多くある。この一首は自分の葬式の場面を思い描いて詠まれている。「風なき柩」というところにはっとした。死者しか入ることのない柩のなかに読んでいる私も横たえているような錯覚をおぼえるのだ。まだまだ遠くに感じている死というものがふいに身近に自分の前に現れる恐さがある。

 

水底のながれに川藻たえまなく靡くを見れば風あるごとし

 

これも「風」が詠まれているが見立てが面白い。水流によって止まることなく揺れている川藻が、まるで地上にある草が風に揺れているように見えて来るのだ。やさしい表現ですっきりとよまれているが鮮やかな歌。

 

菜の花に春日さすときあたたかく桜の花にさすとき寒し

春の日のあかるき空に幾たびもかざして竹の箒をえらぶ

 

このような歌にも作者の力量を感じる。一首目は発見の歌だと思う。菜の花畑にさす陽の光を見るとき私たちはあたたかさを感じ、桜にはうそ寒いような感覚をおぼえる。ただそれだけであるが、春の代表であるふたつの花を詠みつつ細やかさがある。

二首目はおおらかさを感じる春の歌だ。竹箒の穂先を何度も陽にかざして確かめながら選んでいる作者。箒の先を確かめながら同時に見える春の晴天を全身で感じている。

 

アイロンのあたたまるまで待つ妻の待つこと多きひと世とおもふ

 

家事をしている女性としては嬉しい歌である。アイロンをあたためることに始まり、料理などもそうであるし、毎日、家族の帰りを待っていることなど、考えてみれば「待つこと」が本当に多い。見過ごされそうな日々の営みを細やかに見ている作者の視線があたたかい。