今宵また長く鳴りいる魔法瓶ふいに亡き鳥恋しかりけり

落合けい子『じゃがいもの歌』(1990)

 

「魔法瓶」という呼び方は何か懐かしさを感じる。魔法のように保温されるから「魔法瓶」とネーミングされたのだろうか。電気ポットのない時代はお湯を魔法瓶に移して台所に常備していた。その蓋の部分からキューーッというような変な音がよくした。話し声のような、この作品の鳥の声のような、奇妙な音である。「今宵また長く鳴りいる」だから頻繁にその現象が起こっているのだ。そして作者はその音から、飼っていて死んでしまった鳥のことを思い出している。

 

出合いたる時のわが服夫の言う今朝はポットが(せつ)なく鳴けり

 

これも鳴っているポットを読んでいる歌。若き日に出会ったときの洋服を夫が思い出して何か言った朝。その二人の背後でポットが切ない音を出した。二人とも若い頃の時間にもどり、しみじみとした感情におそわれたのではないだろうか。

 

二階より入りたる風が階段をくだりて風呂の扉を閉じる         『じゃがいもの歌』

押し込めしビニール袋がごみ箱の蓋を持ち上ぐプロローグのやうに       『ニパータ』

 

これらも家のなかの事象をおもしろく捉えている歌。一首目は二階の窓から風が入ってきた。その風が階段を通って一階の浴室の扉を閉めたのだ。たまたま風の通り道がつながったのだろうが、勝手にしまる扉に作者は驚いただろう。二首目もよくある現象。ぎゅっと押し込めたビニール袋が盛り上がってきて勝手に蓋を押し上げる。それが何かの「プロローグのやうに」見えるという。静かにそっと蓋が開く様子が何かの始まりのように見えてきて面白い。

 

くれなづむ青い水面に映りゐる枝垂れ柳は下からゆるる           『ありがたう』

月光を延べたる川の銀河ゆくペットボトルは立ちたるままに         『ありがたう』

 

一首目の柳の歌は「下からゆるる」というところが発見だと思う。枝垂れ柳の枝の揺れ方は独特だと思っていつも見ていたが、この一首でそれがよく表されている。二首目の「ペットボトルは立ちたるままに」というところも、横に倒れて流れていくのでなく中にまだ何か入っているせいか、立ったままに流されていくペットボトル。それだけで存在が強くなる。通り過ぎてしまう日常のなかに、見えていそうで見えていないものがたくさんある。作者の手によって鮮やかにそれが立ち上がってくる。

 

編集部より:『じゃがいもの歌』全編収録の『落合けい子歌集』はこちら↓

 

http://www.sunagoya.com/shop/products/detail.php?product_id=711