それぞれの鍵を持ちつつ木曜の午後深海をあなたと覗く

藤島秀憲『すずめ』(2013年、短歌研究社)

 

 

今日は木曜だったと思い、この歌を。

鍵といえば「謎を解く鍵」のように比喩として使われやすい語であるため、この歌の「鍵」も深読みしたくなりますが、ここでは単純に家の鍵を指しているようです。

以下、連作「深海」5首をすべて引きます。

 

ペンギンの家族をあなたと見に来たり嘘のつけざる目を見にきたり

餌を食う命と餌になる命ラッコの食事時間はたのし

クマノミがイソギンチャクにまた隠れあなたを見ればぼくを見ている

それぞれの鍵を持ちつつ木曜の午後深海をあなたと覗く

中空[なかぞら]の水族館に遊びおりショートステイに父を預けて

 

デートの場面が見えてきました。「あなたを見ればぼくを見ている」なんて、ほほえましいですね。平日ですから水族館はすいているのではないでしょうか。離れて見つめることも、肩を寄せて水槽を覗くことも自在です。

最後の歌は、ひとつの現実を告げます。「中空」つまり都会のビルの高層階に遊びに来ているのは、父親の介護のあいまの中休みであること。楽しいことは、続かないであろうこと。

その前の歌も、つくりは似ています。「あなた」と親密な時間を過ごしながら、家の鍵は別々。ふたりはまだ他人同士であるという、ひとつの現実が認識されます。

ただ、掲出歌は「木曜の午後」という週半ばの時間帯がエアポケットのようにはたらいて前後に浮遊感を生み、「鍵」や「深海」の深読みをふたたび誘います。

心の鍵、運命の深海というふうに。