待ちあはせしたる子が裸子植物に見えてくるなりグリーンの服

寺島博子『白を着る』(2008年、本阿弥書店)

 母親と娘というものは、よく一緒に話し、よく一緒に出掛ける。この一首も、外で約束をして一緒に映画を見るか、買い物をするか、食事をするのであろう。作者が先に待ち合わせ場所に着いていたようだ。そこへ娘がやってくるのが見える。そして、母親は娘がグリーンの服を着ていることに気がつく。きっと、娘のお気に入りの服なのだろう。久しぶりに母親と外出するので、比較的気に入った服でお洒落をしてきたのであろう。

 娘のそのグリーンの服を見て、作者は裸子植物を連想した。裸子植物とは、種子植物のうち胚珠がむき出しになっているもので、古代の地上は裸子植物で覆われていたが、中生代末からは被子植物にその地位を奪われ、現在では蘇鉄類、銀杏類、松類などが残っているだけである。

 グリーンの服から植物を連想するのは容易に理解できるが、なぜ裸子植物なのだろうか。現在の地上で旺盛に繁茂している被子植物に対し、比較的ひっそりと生き延びている印象がある裸子植物、それは控えめであると同時に古代から生き抜いてきたというしたたかさでもある。また、「裸」という字には、無防備という印象もある。母親の目から見れば、まだまだ精神的に無防備な娘なのかも知れない。作者は娘の控えめな強さを見抜いており、同時に、その強さは風などでも傷つきやすい無防備さであることを知っていて、もう少しだけ自分が庇護してやらなければならないと思っているのではないだろうか。

       隣室に夜更けてかすかな音がするむすめが夏の羽たたむらし

       海棠のさはなる赤き実を提げて帰らう母のむすめにもどり

       かなしきをあまた見てきし母の目に水晶体のかげりが進む