この町の見知らぬ人と一本の大根の上下分け合ひ暮らす

大松達知『アスタリスク』(2009)

 

「ゆふされば大根の葉にふる時雨いたく寂しく降りにけるかも」と畑の大根を斎藤茂吉が詠んだのは大正3年の秋である。それから95年の歳月が経ち大根を取り巻く状況も大きく変わった。

 

一読、面白い歌だなあと思った。スーパーなどに切り分けられラップでくるまれた大根が売ってある。少人数の家族には丸々一本の大根は多く余ってしまうからだ。ある人は上の方の部分(ここは甘みがあり大根おろしなどにいい)ある人は下の部分(ここは煮物や、漬物などに向いている)を手に取り買って行く。もともと一本だった大根の上と下を見知らぬ人同士で分け合っていることとなるのだ。自分の食べている大根のかたわれをどこかで見知らぬ誰かが自分と同じように背中を丸めて食べているかもしれないし、おいしく料理をしてにぎやかに食べているかもしれない。ものを買うことにより知らないうちに、そのような現象が起きていることへの気づきと不安のようなものをうまく表した一首だ。

 

〈B面〉て何? と訊かれて乱れたる授業はもとに戻らざりけり

 

『アスタリスク』にはこのような歌もある。A面やB面というのはレコード時代の呼び名である。一枚のレコードのA面にはタイトル曲が入りB面にはおまけ的な曲が入っていた。アーティストによってはB面の曲が人気でそればかり集めたアルバムも出ていたと思う。作者は高校の教師で、授業中、レコードを知らないCD世代の生徒たちが先生の発言になんだなんだと騒いでいる様子が面白い。最近亡くなった、大滝詠一の曲に「A面で恋をして」というのがあった。時代的なキャッチフレーズだったが、今となっては知らない世代には説明のいる表現である。