尾﨑朗子『蟬観音』(2008 年)
確かに「冬の氷」は冷凍庫で小さくなる。湿度の低い冷凍庫内では、氷の水分もどんどん蒸発してゆく。茹でた素麺を冷やしたり、飲み物の中に入れたりと毎日のように氷を作っては使う夏と違い、冬はあまり氷の出番がなく、いざ使おうとすると「やせほそり」という状態になってしますのだ。
そんな「冬の氷」が作者自身と重なるのが、この歌の巧さである。古今和歌集に「恋すれば我が身は影となりにけりさりとて人に添はぬものゆゑ」と詠われたように、恋をすれば身が細る。昔も今も、恋する心や身体は変わらない。作者も思いの届かぬことに胸を痛め、やせてしまったのだろうか。
「冬の氷」に着目したところが本当に素晴らしい。「冬」と「氷」のイメージは、とても近くて、季語としたらダブってしまうかもしれないのだが、「冬の氷」とつなげた途端に新しい表象となった。湖の氷結や流氷などではない。冷凍庫でつくられた小さな氷片の変化に、恋する女性のイメージを加えたところで、「ぱちり」というかすかな音をたてさせた作者の手並みには感服するばかりだ。「なきぬ」は、「泣きぬ」でもあるだろうが、小動物のような「鳴きぬ」も含むかもしれない。切ない。
やせてしまうくらいの恋をしているのに、そのことや悲しい気持ち、涙ぐむ夜などには全く触れず、「冬の氷」をなかせた作者の意地にも似た誇りが清々しくて、大好きな一首である。