さいかち 真


みな黒い芋虫地下鉄のもっそりゆれる中にてゆれる

東直子『鼓動のうた 愛と命の名歌集(2014年)』より

※「芋虫」に「ダウンジヤケツト」とルビ。ルビの促音の活字のポイントは同じ。

掲出歌は、黒っぽい色のダウンジャケットを着ている人々の姿が、芋虫みたいだと作者は最初に思った。そう思って見ていると、吊革につかまって揺れている体の丸い輪郭も芋虫そっくりだと思う、というのである。作者は芋虫が好きかというと、むろん好きではないだろう。ただ絵本の中に出てくる芋虫は、きらいではないだろう。そういう幼時の感覚を呼び起こして、自分とは異質なおぞましいものが持つ親しさの感じを思い出させる。こういう微笑みを含んだウイットが、東直子の作品の身上である。この「もっそり」という言葉が、無造作に選ばれた語のようでありながら、人々のジャケットの着ぶくれた感じや、それがお互い触れ合う音や、地下鉄の揺れの大きくゆっくりした様子までを、全部まとめて表現している。

私は「ガラケー」で用が足りているので、スマホは持っていないのだが、電車に乗っていて横でスマホを使う人を見ていると、指先をちょいちょいと動かすだけで画面が替わり、おもしろそうな画像のあるところでちょっと立ち止まり、またすぐに移動してゆくという使い方が、ほとんどであるようだ。その一瞬の関心をつなぎとめるためのアイコンの美しさや、意匠が大切だということは、よくわかる。私の思うに、そういう一瞬の火花を散らすような局面で役に立つのは、広い意味での芸術的な感性と詩的な感受性なのではないかと思う。詩歌というものは、目に触れて読んだ瞬間に勝負がついている。そこのところでスマホのアイコンと似通ったところがないでもない。

東直子の作品がおもしろいというのは、作者が詩の言葉を選ぶ時に、自分がつかんだ一瞬の印象を目に入りやすい絵にすることが上手だからなのだろう。たとえて言うなら、彼女はスマホのアイコン造りの名手なのである。