松村 由利子


カルテ棚逝きたる人と生ける者薄きボードに仕切られてをり

長嶺元久『カルテ棚』(2012 年)

 作者は宮崎で開業して20年以上になる内科医である。カルテ(診療録)は法律で最低5年は保存するように決められている。医療過誤を訴えられた場合などを考慮して、もっと長く保存する医療施設もあれば、5年を過ぎたものはどんどん廃棄処分するところもある。地域に根ざす家庭医は、家族ぐるみで患者さんと長く付き合うから、家族歴を確認する意味もあり、亡くなった後もカルテを大事に保存するのだろう。

カルテの置かれた棚に、亡き人のものも生きている人のものも等しく並ぶ様子に、作者は深い感慨を抱いた。紙のカルテのみならず、死者と生者はそれほど遠く隔たっていないのではないか――そんな思いもあるように感じる。診療したときの記憶は、作者の脳裡に鮮やかに残っており、受診時の心配そうな表情や癒えたときの笑顔がよみがえる。医療者と患者という関係を超え親しい間柄となるのは、地方のクリニックならではの温かさであろう。

年明けに、同年輩の友人が亡くなった。歌をこよなく愛する人だった。彼女はfacebookにもよく自作の歌を書き込んでいた。ふとしたときに、彼女のプロフィール写真や書き込みが現れたときには動揺した。facebookなどのSNSのページに限らず、ウェブ上では書き手が亡くなった後もそのブログやホームページなどが「生き続ける」。消去できないこうした言葉や写真は何だか、宇宙空間における回収不能のスペースデブリのようで切ない。

しかし、亡き人と生きている人のカルテが共存する、この一首には全く違う温かみを感じるのはなぜだろう。たぶん、それは責任もって管理している作者の存在である。信頼できる医師が、最終的にカルテをきちんと処分するのに対し、ウェブ上の個人の足跡は、誰にも管理されることなく漂い続ける。ウェブの世界を統治する全能の存在などないことの無常を思う。