江戸 雪


相聞もインターネットでかわす恋仮想現実ゲームのなかで

有沢螢『致死量の芥子』(2000年)

手紙に愛の歌をしたためて贈り、返信を待つ。それは古の時代からこいびとたちが愛を伝えあうひとつの方法であった。
現代においても、愛するひとへ相聞歌をおくるなんて、少々あらたまった気持ちになり新鮮で素敵だとおもう。

ただ、それが手紙かインターネットメイルかでは大きな違いがある。
手紙には、書いて、ポストに入れて、数日後にこいびとに届くという時間と空間に錘がついている。
しかしインターネットメイルは、画面にうつしだされた手紙を一本の指でクリックするだけで瞬時に届けられてしまう。文章や、交わしあう時間など、軽い感じだ。
すこし前ならば、インターネットメイルでかわしあう相聞なんて軽率だ、というひともいたが、その軽さがいい場合もあったりして、今ではそんなに違和感がない。

ところで、この歌の下の句の「仮想現実ゲームのなかで」はどう読むか。
インターネットで相聞を交換していると、その恋じたいが仮想現実のようにおもえてくる、ということだろうか。あるいは、さらに変容し続ける世界があるということなのだろうか。
実際、いまヒットしているゲームに、現実世界と同じ登場人物を設定してゲームのなかだけの非現実の関係を結んで楽しむというものがあるらしい。
なんだかぞっとする。

さらに、この歌の詞書に「ネット恋愛で未婚の母となったひとに」とある。
インターネットメイルで愛をはぐくみ、子どもを産む。どういうことか。
もしかしたら、子どもさえ、仮想現実のなかで産む時代がくるのだろうか。