逝きかけの蟬を励ますこの夏にとくに未練はないはずなのに

北島洋「夏の終わり」(『外大短歌』第7号:2016年)


(☜9月11日(月)「学生短歌会の歌 (11)」より続く)

 

学生短歌会の歌 (12)

 

道端で裏返った蝉を見つけた。よく見ると、まだ脚がゆっくりと動いている。もう死が近い蝉を思わず励ます。それは、とくになんの感慨もないはずのこの夏がもっと長く続くことを、私自身が暗に望んでいるかのようだ――
 

「とくに未練はない」と書かれたときに、<見せ消ち>のように「未練」の存在が浮かぶ。連作には、台風や雨、パチンコ店などの様子が綴られているが、これといった大きな出来事は描かれていない。やはり、何でもない夏である。しかし、この何でもなかったことこそが、未練の根源なのであり、そこに若さが滲む。
 

地上に出てからは短い期間しか生きられない蝉は、夏の終わりを知らずに死んでいくのだろう。
 

一年が過ぎれば一つ歳をとる不思議を思いゆく並木道

 

連作の掉尾の一首を引いた。
 

一年で一つの歳をとる。当たり前のようでいて、不思議なものだ。あるいは季節ごとに歳をとっても、増えた年齢があるタイミングで減ってもいい。どう数えても私自身は変わらないはずであるが、一定の期間で線形に増えていく年齢方式こそが、夏を次々と過去に押し流していく要因だと言えるかもしれない。
 

夏の終わりのどこか寂しい感じが浮かぶ一首である。
 
 

(☞次回、9月15日(金)「学生短歌会の歌 (13)」へと続く)