そういえばもう長いこと空(青いやつです)色の空を見ていない

ももも「物語のために」(『阪大短歌』5号:2016年)


(☜9月13日(水)「学生短歌会の歌 (12)」より続く)

 

学生短歌会の歌 (13)

 

長いこと空色の空を見ていない。それは、実際に晴れた日が少ないだけであったり、活動が夜中心であったりするだけなのかもしれないが、やはり日々の中で空を眺めるような心の余裕もないことを示しているのだろう。
 

――と、ここまでならばよくある忙しない日常を表現した一首なのかもしれない。しかし、掲出歌はどうだろう。「(青いやつです)」という説明が「空色」という一語を割るかたちで、突如一首に挿入される。
 

「空色」と聞けば、まずは青空の色を浮かべるのが普通ではないのだろうか。夕焼けの赤色や、夜空の色を思い浮かべる人はほとんどいないだろう。けれども、誤解するかもしれない人のために、わざわざ補足を入れる。それも、「空色」という一語を言い終わらないうちに、というせっかち具合だ。なにをそんなに慌てているのか。あるいは、なぜ誤って解釈されることをそこまで恐れているのか。
 

また、空色の空を見ていない、という独白のような静かな一首は、「(青いやつです)」という註釈ひとつによって、読者を含めた他者の存在を強く意識させる。
 

掲出歌は、この二つの特徴によって、歌の内容以上に作者の性格にいやでも気が向いてしまうおもしろい一首になっている。せっかちで、誤解をおそれ、ひと目を気にしがちで……
 

一方で、この感覚はどこかSNSで流れるつぶやきにも似ているように思う。個人的な思いのつぶやきも、何がきっかけで広くシェアされるか分からない。そのために、先回りするように投稿内容に<余計な>補足が加えられ、限られた字数がさらに少なくなってゆく。
 

インターネット上を流れるさまざまな情報について「真実」とは一体何なのか、その価値を含めて問われることも多くなってきた。歌から脇道にそれつつ、そのようなことを考えずにはいられなかった。
 

(真実)とだけ書いてあるメモでしか支えることのできない月夜

 
 

(☞次回、9月18日(月)「学生短歌会の歌 (14)」へと続く)