すっくりと秋冥菊が咲きだして姉なき今年の秋がはじまる

久々湊盈子『世界黄昏』(2017年・砂子屋書房)

 

秋冥菊は、秋明菊とも表記され、中国原産のキンポウゲ科の植物。秋になると可憐な花を咲かせる。「冥」を「明」と書くのは、「シネラリア」を「サイネリア」と言いかえたり、「梨の実」を「有りの実」と言ったりするに通じている。ここでは、作者は「姉なき今年の秋」と照応させるために、あえて「冥」の字を使っているのだろう。近親者を亡くした直後の寂寥と、樹木が余剰を削ぎ落として行く秋のひんやりとした肌触りが、一首のなかで重なる。

 

作者70歳を迎えての「姉の死」は歌集1冊の主旋律。作者に深い悲しみを齎したことはいうまでもないが、そればかりではなく、やがて来る自身の死を予感させる出来事であり、人間の生涯について、さらにもっと広く世界の抱えている危うさを思う契機となっている。

 

吸いしことなきマチュピチュの空気飲みしことなきヒマラヤの水思いて眠る

深々とけたる部分を抱きつつ昇りくる月あれはわたくし

エスカレーター乗り継ぎくだる日本の国会議事堂前駅 深い穴

 

歌には人間社会が多く歌われ、情緒的な味わいを誘発するが、1首1首を際やかに言い切る文体のためだろう、重い内容のわりに読者に凭れかかるような息苦しさがない。言い切るには勇気がいるものだ。思い切りのよさが、身辺の素材を作品内に巧く取り入れる文体となっている。