花山周子


黒木三千代/〈草深野〉この露けくてあえかなることばを忍ぶる恋のあしたに

黒木三千代第一歌集『貴妃の脂』(砂子屋書房・1989年)


 

続けてもう少し「草深野」の歌を紹介したい。

 

・〈草深野〉この露けくてあえかなることばを忍ぶる恋のあしたに

※「草深野」には「くさぶかぬ」とルビがある。

 

「忍ぶる恋のあした」に「草深野」という言葉を思うわけだけれど、この語に「露けくて」「あえか」というイメージを付与しているところが印象的だ。黒木のこの語に対する解釈があり、古語のニュアンスを巧みに引き出すレトリカルな一首だ。誰かを想う心に、原歌のシチュエーション=狩に行く天皇(男)を思っている、が自ずと重ね合わせられてもいるだろう。

 

けれども、連作の中で見ると、この歌はもう少し複雑な相貌を持つ。
「きそのゆふがほ」という十六首の連作には、

 

結露するマンションの窓 時代など見えぬ
見えねば 虚辞をここだく

 

という、詞が冠されていて、〈草深野〉の歌はその冒頭歌になる。
時代が見えない現代(1980年代当時)において、敢えて古語を遣って、虚辞的に詠うこと。そのような態度には、辛辣なアイロニーも垣間見えるのである。

さらに一連の最後にはこの歌が置かれる。

 

・かくしつつ核の風吹く明日(あした)まで反時代的綺羅の言の葉

 

バブル時代のただなかにあって、見えない核の風が吹く未来を思いながら、「反時代的綺羅の言の葉」を遣う、という、ここでもダメ押しのように黒木の態度が告げられる。

 

また、冒頭歌の「恋のあしたに」は「朝」の意であるけれど、この歌ではそれを「明日」として受けているようでもある。そう思えば「恋のあしたに」は一層皮肉な様相を呈するし、「草深野」に「露けくてあえか」という解釈を付与するところにも、批評的なニュアンスが感じられる。

のちに、第二歌集『クウェート』で、

・侵攻はレイプに似つつ八月の涸谷(ワジ)越えてきし砂にまみるる

 

などの、鮮烈な時事詠を連作によって繰り出す黒木三千代のモチーフは既に第一歌集『貴妃の脂』のなかに、まだ整理のされない感情、憤りとして激しく波打っている。「きそのゆふがほ」一連にはそうした黒木の連作意識の萌芽が垣間見えるのであり、そのような観点から眺めるとき、深読みにはなってしまうけれど、「草深野」の原歌のなかで男たちが狩に行くさまの、その延長線上に「侵攻はレイプに似つつ」を思い描くこともできる。

 

思想と古語というものが短歌において結びつきやすいことも、少し考えてみたいことである。

 

なお、今日の一首は、日々のクオリア2011年12月29日の回で澤村斉美さんが触れているのでぜひ参照されたい。