澤村 斉美


人恋ふにあらねきさらぎ雪積めばさ夜更けてひかりいづるわが髪

黒木三千代『貴妃の脂』(1989年)

第一歌集『貴妃の脂』より、初期歌篇の冒頭の一首である。「ある人を恋しく思っているせいではないのだが、如月の雪の積もる夜が更けて、光を放つわたしの髪」。直接意味をとればこのようなことだが、このように言い換えたくはないほど、言葉の連なりが美しく、匂うようなつやがある。雪の光を受けて髪が光るのだが、はじめに「人恋ふにあらね」とある。「人を恋う心が髪を光らせる」という発想が下敷きになっているのだ。髪の潤みやつやも思わせる表現である。さらに一年で最も寒い二月、雪が積もってきびしく冷え、冴えかえった空気の中で自らの内の「恋」に熱く心を澄ます様子が伝わってくる。冷たさの中に一点、澄みながらもえる命である。二月に兆す春をも思わせる。

 

  <草深野>この露けくてあえかなることばを忍ぶる恋のあしたに

 

初期歌篇ではないが、同じ歌集にこの歌がある。「草深野」には「くさぶかぬ」とルビがついている。一首は後朝の歌として読めるのであり、その朝の情感を言い表す言葉として「草深野」という言葉を与えるという。「露けくてあえかなる」は、「草深野」の形容ではあるが、もちろん、「私」の心と恋の状況について、「露けし=露にぬれてしめっぽい。涙がちである」で「あえか=繊細」だと言っている。草深い朝の野原のイメージからこういった形容の言葉が引き出されているのだが、草深い野に二人の恋が籠もっているようでもあり、この歌もまたたいへんに色っぽい。かつ、言葉の選びがこれ以上ないほどに明晰で的確だ。「草深野」という言葉自体については、例えば万葉集の

 

 たまきはる宇智の大野に馬並めて朝踏ますらむその草深野

 

を思い出す。この歌の読み方には諸説あるが、草深い野に馬を並べて、王が狩りに出ようとしているところを詠う。黒木三千代の「草深野」の歌の背景に、「たまきはる」に読み取れる荒ぶる魂や、野に広がる勇壮な響きや男たちの息吹といったものまで想像を膨らませて読んでもいいかもしれない。