式子内親王/時鳥そのかみやまの旅枕ほの語らひし空ぞ忘れぬ

式子内親王『新古今和歌集』


 

前回の大辻隆弘の歌を読んでいて私が思い出すのが、有名なこの一首である。そして、この歌も私が愛唱するものだ。二つの歌は、九百年近い時間の隔たりがあるわけだし、歌が作られたときの動機や心情においては、ずいぶん違うものを孕んでいると思うけれど、それぞれの歌が一首として内包する空間や時間、そして言葉の透明度において、どこか共通するものを感じている。

 

・時鳥そのかみやまの旅枕ほの語らひし空ぞ忘れぬ

 

歌意は、時鳥(ほととぎす)が鳴くのを聞いて、以前、神山で旅寝をしたときに淡く語らった思い出の、そのときの、ほととぎすが鳴いていた空を私は忘れられない。というようなことになる。「忘れられない」、というより、「忘れない」という、ふっと式子の意志がのぞくような気もする。

 

ああ、時鳥が鳴いている、と思った刹那に、その空間に心は運ばれるのである。
「ほの語らひし空」という言い方に、そのときも空では時鳥が鳴いていた、というような省略を見るよりも、語らっていたのがまるで空ででもあるかのような、不思議な詩のありように惹かれる。「ほの語らひし空」のこの淡さはなんだろう。ここに、相聞的なものを読み取ってもいいのだろうけれど、この歌が式子の斎院時代(八歳~十七頃と推測される)の思い出を詠っていることを思えば、家族や、ごく親しい人との会話と考えてもいいのではないか。そんなふうに思えるほど、この歌の思い出のあり方は、そこはかとなく式子のアイデンティティを思わせる。そして具体はなにも語られていないのに、実際の思い出にちゃんと接続していると感じさせるのは、寧ろ、「空」という実体を持たない空間に「空ぞ忘れぬ」という心の強度が置かれていているからではないか。「空ぞ忘れぬ」にすっと涙が流れるような感覚があるのである。

 

・浮雲を風にまかする大空の行ゑもしらぬはてぞ悲しき

 

この歌においても、「大空」が詠われる。大空が、浮雲を風にまかせて行かせている。と詠う。その雲に自らのあてどない宿命をも重ね、「悲しき」と詠っているのだけれど、「大空」を主語におくことで、その大空のなかで自分が大きな鳥になって翼を広げているような、ふしぎな解放感さえ感じられる。

 

考えてみれば、この歌には「雲」と「風」と「空」しかない。古典においてもここまで抽象度の高い歌は少ないのではないか。そして、私にはこの歌が、「空ぞ忘れぬ」の歌もそうなのだが、類まれなほど哀しく感じられる。そして、ここにも前回書いたような、歌における一つの自己抹消の姿があるように思う。

 

式子内親王は後白河院の第三皇女として高貴な身分に生まれながら、平家全盛の時流にあって衰退する一族の女性として、生涯嫁ぐことなく消極的な生を送らねばならなかった。当時において、女性の運命はその嫁ぎ先や出産によって決定されるものであり、式子の立場は最初からその運命を断たれていたということになる。そういう式子の歌はまた、その作品中においても、積極的な主体性をもたない。主体性をもたず、何かを直接には語らないかわりに、「空」という自由な空間、空想の広がりのなかに自らを飛翔させているように思われるのだ。