花山周子


金野友治/冬の海荒れているらし嵩上げの防潮堤より海鳴り聞こゆ

金野友治「河北歌壇」2018年12月2日


 

ここまで、九回に亘って、『震災のうた―1800日の心もよう』と、熊本吉雄さんの歌を紹介してきたが、

最後に、ここ最近の「河北歌壇」掲載作品のなかからお二人の作品を紹介したい。

 

まずは、熊本吉雄さんの二首。

 

・あごひげの寝ぐせ撫でつつ霜の朝アッそうだ今日は資源ゴミの日 「河北歌壇」2019年1月13日

 

日常の朝の場面が描かれる。あごひげのねぐせなでつつ、の濁音の多さに、あごひげの感触が伝わってくる。「寝ぐせ」とあるから、長いあごひげだ。そういうあごひげの寝ぐせをちょっと撫でてみているところに彷彿とさせられる人物像があり、自身のディテールによって場面を立ち上げる小説的なスタイルにもなっている。「霜の朝」がさりげないけれど、この場面にははずせない。寒い朝の寝床から起き出して、無造作に髭を撫でる。朝の霜の白さ、外気の寒さが、体の温もり、髭の感触を茫漠と味わわせるのだ。そこで、「アッそうだ」となる。無邪気といっていいこのチャーミングさ。日常の思考の流れが、歌の転換としてリアルに捉えられていて、「今日は資源ゴミの日」がそれだけでユーモラスに響く。熊本さん独自の歌のスタイルに、どこか堂々とした風体がもたらされてきている。

 

・浮き玉に留まりて動かぬ海猫の点々とあり冬の内湾 「河北歌壇」2019年2月17日

 

こちらも、優れた歌である。「内湾」とあるから、波のない穏やかな海だろう。浮き玉がいくつも浮いていて、そこに、一羽一羽、海猫がとまっている。細かく言葉が置かれていて、それ自体が海面に点々と浮く浮き玉とそこに乗る海猫の景を視覚的に浮かび上がらせるし、「うきだまに」、「とどまりて」、「うごかぬ」「うみねこの」「てんてんと」「あり」「ふゆの」「うちわん」、と一つ一つの言葉の韻きには丸いフォルムを感じさせる。それだけでなく、「浮き玉に留まりて」「動かぬ」「海猫の」「点々とあり」「冬の内湾」には海面の大きなたゆたいさえが、文体によって自ずと描き出されていて、大きな海に散らばる小さなもののあてどない茫漠感があるのである。

 

そして、今日の一首は、3月13日に紹介した、金野友治さんの作品である。

 

・冬の海荒れているらし嵩上げの防潮堤より海鳴り聞こゆ 「河北歌壇」2018年12月2日

 

「冬の海荒れているらし」という推量が印象的な一首だ。海の近くで長年生きて来た人にとって、海は日常の風景の一部として、常に視界に入っていたものだったのではないか。昨日の海、今日の海、朝の海、昼の海、春の海、夏の海、そんなふうに、刻々と変る海の変化を、目で見て、目で確かめてきた。それが防潮堤ができて、海への視界が遮られた。「海鳴りの音」から、「冬の海荒れているらし」と感じること。すぐそこの海が隔たれたことで、推量という、間接的なものを生んでいる。震災後の光景を定点観測のように繰り返し詠んできた作者の歌として、ここでは視覚ではなく、聴覚によって喪失した風景が描き出されていることに、一層のさびしさを感じる。