生沼義朗


仙波龍英/夕照はしづかに展くこの谷のPARCO三基を墓碑となすまで

仙波龍英『わたしは可愛い三月兎』(紫陽社・1985年)
※表記は『仙波龍英歌集』(六花書林・2007年)に拠る。


 

言わずと知れた仙波龍英の代表歌のひとつである。掲出歌は、「渋谷惑星直列篇」29首の26首目。タイトルには「一九八二年、惑星直列により、この地球に「何かが起こる」筈であった。」の註がある。調べてみたら1982(昭和57)年は太陽系の惑星が一直線に並び、それぞれの引力の影響で天変地異や地球滅亡などの現象が起こると囁かれたことを踏まえている。もちろん、実際には何も起こらなかったから、「筈であった」という言い回しになっているのだが。

 

 

地球儀を燃やす夕べに太陽系惑星しづかに連なりゆかむ
葬列のごとく惑星ならびそむ渋谷ハチ公燃ゆる夕べを
地球儀のペンギン通りあたりから焰ワルシャワまでを包みぬ
極東のスペイン坂のかたすみにわれ泣きぬれず雨に濡れゐつ
タイタンの末裔棲みたる『くじら屋』のくぢら刺身と刺交(ちが)へたり
太陽系第三惑星爛れゆく七曜空を地下鉄はしる

 

本当はすべての歌を引きたいが、一部の抄出に留めた。できれば、ぜひ元の一連を読んでみてほしい。掲出歌はすでにこの一首単体で仙波龍英のみならず現代短歌を代表しうる歌だが、「渋谷惑星直列篇」29首を読めばバックボーンが分かる。地上、特に渋谷の事物を詠みながら、天体や宇宙への意識が一連を貫く。天変地異に対する不安や興味がこの一連を物したと言えるが、オカルト的な関心とは違う。自然に対する畏れを仙波が歌にするとこうなるということだ。

 

「渋谷惑星直列篇」だけでなく、『わたしは可愛い三月兎』は作品におびただしいと言っていい数の註が施されていることは歌集の特徴としてよく指摘される。この一連でも、3首目の「ペンギン通り」や4首目の「スペイン坂」はもちろん、2首目の「渋谷ハチ公」にも「渋谷駅前の犬の銅像」と、ここまでしなくてもいいのではと感じるほどの註が施されている。これは解説で小池光が「短歌に註をほどこすという発明も(略)ごく自然に出てきたものだろう。自分を語るには自分の一部(あるいは大部)である流行(ハヤリ)を語らねばならず、したがって「俗悪」がハンランするが、読み手にこれら事象は伝わるだろうか。心やさしく親切な仙波龍英はそこでおずおずと〈註〉を施しはじめたに違いない。ことさらの意企や奇矯性を見るべきではないのである。すべては彼の正直な親切心のなせるわざだ。」と述べている。

 

指摘には確かに頷けるところもあるが、果たしてそれだけだろうかとも思う。是非はひとまず留保しておくが、いずれにせよ『わたしは可愛い三月兎』各一連の末尾に並んだ註は時代のキーワードのカタログでもあることは間違いなく、その特徴と効果は仮に仙波がどのような意図で行ったとしても揺らぐことはない。

 

掲出歌をあらためて見てみると、「夕照(せきしょう)」は夕焼けのこと。渋谷はその名の通り、渋谷川と宇田川の合流地点に出来た谷底の街だ。渋谷の街が坂に取り囲まれているのはそれゆえである。夕焼けが渋谷の「谷」をしずかに照らしてゆく。実に厳粛かつ静謐なひかりであり、そこにはいつも渋谷を訪れた際に感じる喧噪はない。さらに、「展く」という動詞を選択したことで渋谷全体を俯瞰する視点が作品に表れ、先に述べた天体や宇宙への意識とも通ずる。この視座が一種の神的なものゆえに、下句「PARCO三基を墓碑となすまで」をより悲劇的かつ説得力のあるものにしている。だが一方で渋谷を「この谷」と呼んでいるのは、自分自身も今現在渋谷にいる自覚からこそである。

 

「PARCO」は公園を意味するイタリア語で、ファッションビルPARCOの渋谷店を指す。また、1980年代の消費文化や若者文化の象徴でもあった。「三基」は、PARCO渋谷店が3つの建物で構成されていたことを踏まえている。もちろん、結句に「墓碑となすまで」があるからこそ、「基」という墓を数える単位を用いている。当時の興奮をすでに見切っているかのような冷静な表現はまさに時代を先取りした歌で、渋谷をある意味悼んでいるとさえ思える。

 

掲出歌が詠まれてから40年近い歳月が流れた。PARCO渋谷店の3つの建物には「Part1」「Part2」「Part3」という名称がついていた。2019年現在「Part2」は解体され、「Part1」と「Part3」は建替工事中で今年の秋に再オープンする予定らしい。この意味でも当時のロケーションとは大きく異なり、この歌が詠まれたときの渋谷とはすでに異なる渋谷だとも言える。

 

前回挙げた藤原龍一郎の歌も昭和末期の過ぎ去った時代を悼み偲ぶ歌だったが、この歌もまた1980年代という時代をリアルタイムで悼んでいる歌でもあるのだ。