生沼義朗


黒瀬珂瀾/中澤系の通夜より帰る美南ちやんに布袍の裾を摑ませながら

黒瀬珂瀾「これでしまひや」(「短歌研究」2019年4月号)


 

前回は中澤系の歌について述べたが、引き続き今回はその中澤を偲んだ歌を取り上げる。

 

「短歌研究」で9回にわたって行われたシリーズ企画「平成じぶん歌」の最終回に掲載された「これでしまひや」31首の17首目。「平成じぶん歌」は、平成の31年間を31首の短歌で表現する試みである。その企画についてもいろいろと考えるところがあるけれど、今回はそれはさて措いて、掲出歌一首単体で読んでみることにする。

 

掲出歌には、「二〇〇九、茅ヶ崎」の詞書がある。この年の4月に中澤が長年患っていた病のために亡くなり、中澤の出身地である茅ヶ崎で行われた葬儀に駆けつけたことを指している。

 

私語りが混じって恐縮だが、仲間と立ち上げた仕事のため、ちょうどこの数ヶ月前まで茅ヶ崎市内に自宅兼仕事場を構えていた。結局、仕事仲間の裏切りもあって事業は破綻して東京に戻ったのだが、それ以来初めて茅ヶ崎を訪れたこともあり、自分の内心はきわめて複雑かつ暗澹としていた。

 

掲出歌に戻ると、三句の「美南ちゃん」は石川美南のこと。石川が黒瀬を日頃から「珂瀾兄」と呼んで慕っていることを知っていた方がより理解が深まるだろう。それを受けての「ちやん」付けなのである。

 

「布袍」は「ふほう」と読み、浄土真宗本願寺派で用いられる、法要時ではなく移動時などに着る簡略化された法衣のことだ。ちなみに黒瀬は浄土真宗本願寺派の僧侶で、当時は東京に在住していた。中澤に対する弔意も含め、僧侶の衣服である布袍で葬儀に駆けつけた。布袍の「裾」、和服でいう袖下の部分を石川美南がずっとつかんでいる。黒瀬もあえてつかませている。偲ぶ気持ちを分かち合おうとする心と親愛の情がありありと見て取れる。これを書くのはやや反則かもしれないが、中澤系のお通夜の日にこの様子は実際に自分も見ていた。石川は黒瀬の法衣の一端をつかむことでかろうじて精神の平衡を保っているようにさえ見えたことをまざまざと思い出す。

 

文体の構造は、「中澤系の通夜より帰る」と二句でいったん切れ、三句以下の「美南ちやんに布袍の裾を摑ませながら」と倒置になっている。意識的な倒置というより、心の動きに対して忠実に言葉を並べることで、作者の気持ちの流れが読者に可視化される。

 

歌からは、死を悼みながら無言で静かに歩を進めるふたりの人物が浮かぶ。それ以上のことも、それ以外のことも書かれない。余計なことを一切言わず、その姿を提示することそのものが供養とさえ思えてくる。同時に死者を悼むには、行動においても歌に詠む際においてもどのようにすればベストなのか、そこまでこの歌は問いかけているような気がしている。