生沼 義朗


永田 愛/ちかいうちにきっと後悔するだろう家族のことをここまで詠んで

永田 愛『アイのオト』(青磁社・2018年)


 

永田愛は1999(平成11)年に作歌を始め、2004(平成16)年に「塔」に入会。2017(平成29)年からは「七曜」にも所属している。『アイのオト』は第1歌集で、1999年(平成11)から2013(平成25)年までの作品がほぼ編年順に収められている。

 

掲出歌の意味内容は明快である。一首全体に駆使されている口語も効果的で、作者の思念や抒情を誠実かつ率直に表現へと映し出している。作歌にまつわる事柄を詠んだいわゆるメタ短歌の側面も否定しないが、それだけの歌と見てしまうのは短絡的に過ぎるし、魅力の10分の1も理解できたことにはならないだろう。

 

 

なにが悪い、というわけでなく妹と口をきかなくなって三年
とうとつな別れのように妹の婚約を聞く 父の口から
詫びるように生きてゆくのはくるしいよゆうべの段をぐらぐらのぼる
家族からとりのこされてゆく感じわたしの乗れる小舟がほしい
「愛さんのことをむこうの両親に言うてよ」と父に妹の声
妹がおとといくれた一通の手紙こわくてまだ開けてない
いつの日か思うのだろう妹の婚を祝ってやればよかった

 

掲出歌は、歌集中程にある「LAZARE DIAMONDO」一連14首の7首目。「LAZARE DIAMONDO」はダイヤモンドのブランドらしい。妹の結婚を軸に一連は展開される。他の歌も何首か引いてみたが、かなり複雑な家庭の事情があることが察せられる。8月31日の依田しず子のときに述べたことだが、家族を詠む歌は難しい。家庭の事情は家庭の数だけあるし、事情や背景をつまびらかに歌に描けないことも多い。もちろんこの一連もそこまで書く必要はなく、背景の詳細は読者がおのおの想像すればよい。この一連の読みどころは、事柄の持つストーリーやドラマ性よりも、作者の揺れ動く心情にこそあるのだから。ここで「ここまで詠んで」は事柄を指すものではなく、自身の心情を示すものだと気づく。

 

「ちかいうちにきっと後悔する」は、確信に近い予感である。家族を詠めば、家族の抱えるデリケートな部分にある程度以上立ち入らざるを得ず、永田の家族が歌に対するどのくらいの理解や親和性があるかは歌からはわからないが、一般的に歌を詠まない家族からは理解を得られにくいことが多いからだ。

 

それでも「家族のことをここまで詠」むのは、永田にとって本当に詠んでおきたいことだからに他ならない。その上で後悔を覚悟するのは、家族への愛情ゆえである。その煩悶は率直だ。ゆえにシンプルな文脈や措辞と相俟って、複雑な事情がダイレクトに読者の胸に響いてくる。

 

掲出歌をはじめとする一連に共鳴する読者も少なくないだろう。この共鳴こそがこの一連の魅力であり、家族という大命題の持つ力である。家族は社会における最小の単位だ。家族の機能は時代に応じて変化し得る。それに応じて家族詠の機能もまた変化し得るし、家族詠の意味を都度問い直す必要も感じている。