柴善之助『揚げる』(ながらみ書房・2001年)
前回の松﨑英司に引き続き、飲食に携わる仕事の歌を取り上げる。
柴善之助(しば・ぜんのすけ)は1915(大正4)年長野県箕輪町生まれ。1955(昭和30)年に東京の笹塚で天麩羅屋を開業した。50歳代のときにアララギ系の歌誌「流域」に断続的に出詠しはじめたが2年ほどで中断し、70歳代から朝日カルチャーセンターで近藤芳美の講座に参加し、1987(昭和62)年「未来」に入会。『揚げる』は柴が86歳で上梓した第1歌集で、「未来」入会以降15年間の作品約500首が収められている。柴はこの歌集で第10回ながらみ書房出版賞を松村正直歌集『駅へ』とともに受賞した。
一斗缶横抱きにして鍋に張る今朝の油のかく美しく
春菊の青人参の黄かき揚げて春の彼岸のいつもの如く
吾が店は女子高の通学路朝夕の青春の囀りは一円にもならず
癖っぽい天ぷらやに来たと思わせて芳美、隆の歌をかかげる
ハゼ、メゴチ泥に睡るを掬われ来て其の淡白な身を揚げらるる
『揚げる』という歌集題が端的に示す通り、天婦羅職人としての歌が歌集の大きな特徴である。掲出歌もそうした歌のひとつで、おそらくランチタイムだろう、店のすぐ裏手の工事現場で働いている警備員が休憩時間に食事に来た。天丼を食べている警備員の足下を見ると工事現場と思われる土がこぼれている。何ということのない光景だが、警備員と天婦羅屋の対比が歌に読ませどころと陰影をもたらし、人間、特に働く人間にとっての食べることの意味と重要性が簡潔に表れている。「対う」は「向かう」などと表記するよりも歌のなかで視点がクローズアップされる効果があり、より切実というかその警備員にとっての食の必然性をより高めて読者に提示している。
翼の表面に並ぶ打鋲のきらめきて吾を載せて翔ぶアエロフロート機
夜通しのラーメン屋が屋台をくくり上げ歩道に丁寧に水を打つところ
天婦羅職人の仕事や天婦羅屋を離れた歌でも、一首一首の表現の確かさは紛れもない。前回の松﨑は板前の仕事が歌の中心に据えられていたが、柴は日常の嘱目や人物、あるいは旅行詠など幅広く題材を得ている。これはどちらがよいかではなく仕事へのスタンスの差だし、ひいては作家性の違いである。年齢による余裕、あるいは関心の推移という要素も無視できない。そして今余裕という語を使ったが、
他所ゆきの取つつきにくい奥さんが変な次元で笑いころげつ
フランスパン固げな尖に嬉しそうにバターを置けり入れ歯のくせに
節立てる虎杖(いたどり)の茎の紅らみを東京の冬に何で想うんだ
といったユーモア漂う歌にも余裕が感じられる。人を笑わせるあるいは面白がらせる歌ではなく、日常のなかの些細な違和感を丁寧にそして正面から掬いとるときに一種の副産物としてユーモアが生まれる。むしろ、歌の背後に漂う余裕を読者は読み取ることが重要なのだと思う。
柴も前回の松﨑も、素材をできる限りそのまま生かしてゆく歌の造り方である。見聞きしたものを忠実に歌にすることで、体験を忠実に歌にすることで作者のオリジナルな作品世界を構築し得る作歌的方向性は共通する。しかし作品の出方はかなり違う。それは二人の年齢も人生もまったく異なる以上当たり前のことである。その違いを興味深く感じるとともに、『揚げる』にみられる多様な作品の振幅はやはり柴の人間としての魅力に起因すると思えてならない。