山崎聡子/さようならいつかおしっこした花壇さようなら息継ぎをしないクロール

山崎聡子歌集『手のひらの花火』(2013年・短歌研究社)


 

あるとき、久しぶりに山崎聡子の『手のひらの花火』を開いた途端、噎せるような湿度と色彩とが一気に立ちのぼってきて驚いたことがあった。

 

それまでにも山崎聡子の歌の特長として、「湿度」や「色彩」、「匂い」、「ノスタルジー」、については多く指摘されてきていたし、私自身も感じていたことではあったけれど、それが歌一首一首からというよりも、歌集を開いた瞬間に立ちのぼってくるというのは、予想外だったのだ。

これは一体なんなんだろう、ということをそれからずっと考えている。

 

山崎聡子の歌に「匂い」とか「湿り」とか「色彩」を直接に詠った歌は多いのだけど、私があのとき歌集を開いて感じ取ったものはもっと全体から発散されているものであったし、そのような歌の意味内容とは別に発散される「空気」のようなものがどこからきているのか、それを歌の一首一首に戻って考えてみたいのだ。

 

ハロー 夜。ハロー 静かな霜柱。ハロー カップヌードルの海老たち。 穂村弘

さようならいつかおしっこした花壇さようなら息継ぎをしないクロール 山崎聡子

 

どちらの歌もリフレインの仕方が似ている歌だが、穂村弘の歌では「」や「静かな霜柱」や「カップヌードルの海老たち」がアイテムとして、紙の上にくっきりと書き起こされていくような気がするのに対して、山崎聡子の歌の「いつかおしっこした花壇」や「息継ぎをしないクロール」はいろんな匂いや湿度や体感を言葉が吸収しはじめて、歌の中の景色がどんどん滲んでいくような気がする。

もちろんそれは、そもそもの名詞が喚起するものの違いでもあるだろうし、「花壇」や「クロール」をそれぞれ修飾する「おしっこした」や「息継ぎをしない」は体感をもたらしてもいる。でも、それこそが山崎聡子の歌の特長でもあるのではないか。つまり、名詞それぞれが修飾されていくということ。

 

漆黒の毛なみを雨で湿らせた猫がつるりと越えたサルビア

 

たとえば、この歌は、状況を説明しようと言われれば、雨で濡れた黒猫がサルビアの花を越えて行った、となる。だから一応は叙景歌だとも言える。だけど、読んだときに残る印象はもう少し違う。「漆黒の毛なみ雨で湿らせた」という形容と「猫がつるり」と下句の「サルビア」の赤い色がどこかばらばらにその色の残像を残す。何かが脈絡をはずされていると感じさせるのは、事の叙述的な繋がりよりも、ひとつひとつの形容のほうが強く印象として押し出てくるからであり、それによって焦点が歌の中にいくつも生まれている。

 

雨の日のひとのにおいで満ちたバスみんながもろい両膝をもつ

 

この歌でも雨の日の「ひとの匂いで満ちたバス」という空間のなかでの「みんながもろい両膝をもつ」は、両膝というものがクローズアップされていくような流れのなかで見えてくるのではなく、それぞれの修飾によってそれぞれが別個にイメージを立たせているし、あるいは〈右腕のつけねのやわい筋肉は夕立に似たにおいがしてる〉では、「右腕のつけねのやわい筋肉」とまで詳細に書かれたことで、「夕立」というもののイメージが独立してしまう気がする。

 

単に「花壇」や「クロール」があるのではなくて、それは「おしっこした花壇」であり「息継ぎをしないクロール」なのであり、「漆黒の毛なみを雨で湿らせた猫」なのであり、「みんながもろい両膝をもつ」なのであり、「右腕のつけねのやわい筋肉」なのだ。

 

そのような一つ一つの濃密な修飾によって、全体として何かが統制されず、個々のイメージのほうが立ってきてしまうこの感じは、単に歌のなかに言葉数が多いことに起因しているのではないと思う。歌のなかの優先順位が歌の全体を繋ぐ因果関係ではなく、ひとつひとつのイメージのほうに置かれているのであり、それははじめからはっきりとした因果関係を互いに持つものではないのだ。

 

そのような言葉の置かれ方が、一枚の画用紙に置かれていく水彩絵の具の色のように滲んで混ざり合っていくような、一種の幻覚作用のようなものが山崎聡子の歌では起こっていて、それが他の五感をも刺激して、つまり、視覚聴覚臭覚といったものを言外のところで歌が纏いはじめている気がする。

 

もちろん、それらひとつひとつのイメージは山崎聡子のうちにある何らかの必然性によって結びついているからこそ、表面的な因果関係によらずに、一つのノスタルジーを形成し得ていることは確かなのだけれども、ここでは、なぜ山崎聡子の歌が表面的な因果関係を背景に押しやり、イメージに付随する感覚を前面に出すことができているのか、というところを女性の短歌表現の可能性として注目しておきたいのだ。

 

七月頃に東直子の歌の、気分や感覚というものを引き連れて予感の現場を作り出している口語短歌のあり方について書いていたけれど、私はその延長線上に山崎聡子の歌の独自性を見ているのである。文語という時制や世界の構造的な枠組みが口語によってはずされたことで可能になった感覚の優位性が最大限に生かされているのが山崎聡子の歌なのではないか。そしてその歌世界では過去も未来も、遠近法的な距離も背後に押しやられて、だから、

 

飛び込み台番号(7)のうえに立ち塩素の玉のきらめき見てる

死ぬときはプールの匂いを纏いたい「タイルをみっつとったらおわり」

塩素剤くちに含んですぐに吐く。遊びなれてもすこし怖いね。

制服を濡らしてわたし、みずたまりゆれる校庭の真ん中にいる

 

こうした、現在形で語られる記憶がこの世界での位置を持つのではないか。

 

桜前線開架宣言』のなかで山田航が〈飛び込み台番号(7)のうえに立ち塩素の玉のきらめき見てる〉などの歌を上げながら「これら過去の記憶をテーマとした作品は、九〇年代の空気が濃厚に立ち込めている。バブルが崩壊後で経済邸には停滞し、しかし、九・一一以降の世界の激動には巻き込まれる前の、わずかながら日本に牧歌性が残っていた時代。ぼくもほぼ同じ時代に少年期を過ごしたからなんとなく通じるものがある」と指摘している。

 

ここで語られる「九〇年代」という時代は私自身も少女期を過ごした時代である(山崎聡子は私の二つ下で弟と同学年になる)。けれども私はこの時代というものをたとえば映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の舞台であるところの六〇年代であったり、穂村弘が『水中翼船炎上中』のなかで詠っている新幹線や大阪万博に象徴されるような七〇年代と引き比べて、まったく個性のない色のない時代のように思っていた。山崎聡子の歌集を読むまでは。

 

さようならいつかおしっこした花壇さようなら息継ぎをしないクロール

 

この歌には、時代を象徴するようなものは何一つ詠われてはいないけれど、だからこそ、個性のないあの時代の色彩がここには濃厚に立ち込めている。私にとってあの時代は山崎聡子によって色彩を与えられたのであり、そしてそれは、こうして色彩を与えられてみれば本当になつかしく私自身の内側にも立ちのぼってくるのである。

 

前回書いた小島なおの歌のクリアさというのは、私に冬のとても透明な空気を思い出させるし、山崎聡子の歌というのは逆に初夏や夏の湿度に滲む空気を思い出させる。そして、そのような視界の見え方に影響する周辺の「空気」をこの二人の女性歌人が描き出していることは、女性の歌、というものを考える上でもとても大事なものがあるのではないかと私は感じているのだ。