生沼 義朗


小坂井大輔/食べてから帰れと置き手紙 横に、炒飯、黄金色の炒飯

小坂井大輔『平和園に帰ろうよ』(書肆侃侃房・2019年)


 

12月17日19日21日の3回に渉って飲食の仕事の歌を取り上げたが、最後にやはりこの歌に触れておきたい。

 

歌集題にもなっている「平和園」は、名古屋駅から歩いて5分ほどのところにある中華料理店だ。そして、『平和園に帰ろうよ』の著者、小坂井大輔の父親が開業した店で、小坂井の実家でもあり、小坂井の現在の職場でもある。いつからか歌人が多く訪れるようになり、今や短歌に携わる人の多くが知り、訪ねる店になった。「短歌の聖地」と呼ぶ人もいる。平和園がなぜ短歌の聖地と呼ばれるようになったかは、この連載と同じ砂子屋書房のサイトで連載されている田中槐の「月のコラム*歌の上枝(ほつえ)、詩の下枝(しずえ)」で、今年の6月に「「平和園」とはなんなのか」という文章で詳述しているのでそちらをご参照いただきたい。

 

掲出歌は書肆侃侃房の新鋭短歌シリーズの48冊目として出された小坂井の第1歌集『平和園に帰ろうよ』の巻頭歌である。炒飯が置いてある横に「食べてから帰れ」と書かれた置き手紙があった。おそらく炒飯を作った人が書いたものと考えて間違いない。先に述べた小坂井の仕事や平和園の現在の状況などをあわせて考えれば、平和園のカウンターかテーブルに炒飯が置かれ、その横に小坂井が書いた手紙があったとする読みはそれほど不自然ではない。「食べてから帰れ」には炒飯を作った人の自信と矜恃が滲む。「黄金色の炒飯」は銀色の白米が卵でコーティングされることで黄金色に輝いて見えるところから、美味しいあるいは完成度の高い炒飯の形容としてしばしば使われる語でもあるが、この歌では単なる形容を超えて「黄金色の炒飯」が作り手の矜恃を漂わせる存在になっている。さらには背景が省略されることで、まるで炒飯が異世界に置かれているような感覚にとらわれる。これは「黄金郷」などの「黄金」という言葉が持つ異化効果が大きいだろう。下句に2箇所打たれた読点(、)も読者の視点を誘導するだけでなく、一語一語を区切ることで存在を確かめている感覚が伝わってくる。

 

そして、巻頭に掲げられた一連「黄金色の炒飯」は、この1首のみで構成されているところにも小坂井の矜恃を見るのである。

 

さて、自分も平和園に一度伺ったことがある。昨年7月に「短歌人」の夏季全国集会で浜松に行った際に、前乗りして名古屋で1泊した。その際に夕食を平和園でいただいた。2、3回会っただけの自分の顔と名前を覚えていたのはうれしかった。肉団子を頼んでビールを飲み、最後に炒飯を頼んだ。作る手際は当たり前だがさすがにプロのもので、確かに炒飯は輝いていた。そのことを想い出すとき、掲出歌の矜恃に自分は深く頷くのである。