大松 達知


銀紙ごとチョコレート割るそのときに引き攣るやうな痛みを持てり

梶原さい子『あふむけ』(2009)

 

 板チョコの銀紙。

 ロッテ・ガーナチョコレートとか、明治・ミルクチョコレートなどの、クラシックなタイプだろう。

 むかしと変わらず、ごく薄い銀紙で包んであるチョコレート。銀紙が折りたたまれてくしゃくしゃと重なっているところはどうしようもなく悲しかったりする。

 ふつうは、手が汚れないように、銀紙の上から凹凸の見当をつけてポキリと割る。そのとき、銀紙はすんなり切れるような切れないような微妙な質感で、裂ける。

 

 そのあたりの指先の感覚を「引き攣(つ)る」と言ったのだ。

 そこに「痛み」を感じるのは、作者が「痛み」に対して敏感に反応する人であり、反応する時期だったのだ。

 痛みを持った主体は作者だろう。

 自分ではない無機物の小さな痛みが自分の中の有機的な小さな痛みと共鳴してしまったような瞬間。

 ちょっとした後悔のような、罪悪感のようなもの。

 

 静かな光に満ちていた第一歌集『ざらめ』と同様に、この歌を含む『あふむけ』には、剥き出しのたましいが風に吹かれるたびに傷ついてゆくときの繊細さにあふれている。

・限りなき引き算のやうに思はれてわたしひとりでわたしを歩く

・さつきから誰かがついてくるやうで坂はかなしいばかりに照りぬ

 大病されたあとには、「術後一年」と詞書きがあり、

・冬の日の心ぼそさに引き攣れる傷 ひらかないひらけないからだ

という歌がある。掲出歌と合わせると、なにか深まる感じがある。