薄っぺらいビルの中にも人がいる いるんだわ しっかりしなければ

雪舟えま『たんぽるぽる』短歌研究社,2011(引用は短歌研究文庫版,2022.02から)

 

以前、歌集がどんどん文庫化されている、という喜ばしい状況について書きましたが、短歌研究社から「短歌研究文庫」として刊行されるものの第一弾が雪舟えま『たんぽるぽる』でした。きょうはその文庫版を手に。

 

「薄っぺらいビル」。吹けば飛びそうなものに対するあつくて柔らかな視点は、雪舟えま作品の大きな特徴のひとつですが、ここでは屈強な造りのはずの(そうでなくてはならないはずの)「ビル」に、どこか心許なさを感じ取っている。

 

「人がいる いるんだわ」の変質的なリフレインは、たとえば以前取り上げた「ホットケーキ持たせて夫送りだすホットケーキは涙が拭ける」の「ホットケーキ」、そして

 

とても私。きましたここへ。とてもここへ。白い帽子を胸にふせ立つ

菜の花パスタは天上の地続きパスタ一緒の家に生きてうれしい

 

これらの「とても」である「ここ」、「天上の地続き」である「パスタ」などもともなって、繰り返される2回目の言葉は、どこか朗らかに唱えるような、最初のそれらとは明らかに異なる声調を感じられます。

ただし、今回取り上げた「ビル」の歌の場合、ひとが「いる」ということに対する繰り返しの文言は、自分自身に、そして自分を通した誰かに言い聞かせるような、

この世界の弱ったものたちの声を統治させるような、不思議なつよい力が働いている。

 

一字空けからの「いるんだわ」の部分で、完全に語り手の声色が変わり、複眼的な語りのもたらされる様子は、和歌の手法をテクニカルに現代短歌に活かしたものの一例のようにもうつります。

それはつまり、「われわれの感性の代表」としての語り。この歌の「いるんだわ」「しっかりしなければ」がしみじみとしんどく感じられるとき、ああ、わたしは今、こころが疲れているのだな、と、ハッと我にかえる瞬間を与えられる、これもまたわたしにとって「お守り」のような一首です。

 

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