ヒトわれの辛き残暑に力得るゴーヤなるべし次々みのる

大西晶子『花の未来図』(柊書房、2020年)

 

五月のころのいっときの暑さをおもえば、いくぶん涼しいこのごろである。もうじき夏至になるから、それが過ぎて梅雨もあければいよいよ夏、という感じだろうか。例年なら、七月になるかならぬかというところで蟬の音がきこえはじめる。

 

八月、立秋を過ぎてまだまだのこる暑さを残暑という。暑中見舞いが残暑見舞いにかわる。「ヒト」であるところの「われ」にとってはつらいつらい残暑。体力うばわれ、食欲うしない、気力とぼしく、なんとか耐え耐えてしのぐ。

 

と、そこまで言うといくらもオーバーだが、それに比して「ゴーヤ」はいよいよ力みなぎり次々に実を太らせていく。あのイボイボの見た目に、食べて舌にくる独特の苦み。いかにも夏の実感こもる。ここでは「ヒトわれ」に対置させて「力得る」と、いくらか擬人的に言ったことが、この対置によって説得力をもちつつ、迫ってくる。

 

「なるべし」は「であろう」にもうすこし強い気持ちがのる。四句切れですぱっと言い切って、「次々みのる」の結句がさらにも勢いを添える。先回の「気力」につづき、今回の「力得る」。気力ほしい、力得たいこのごろです。

 

「なるべし」によせて、「力得る」は「ちからうる」と読んだ。「うる」「なる」「みのる」の巻き込むような韻律にねばりがあって、パワー感ずる一首。「ヒトわれの」の入りも大胆。

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