開けっ放しのペットボトルを投げ渡し飛び散れたてがみのように水たち

近江瞬『飛び散れ、水たち』左右社,2020

 

清涼飲料水のCMでしか見たことのないような、振り切ったみずみずしい光景。

それなのに、なぜかどれも、わたしたちは「見た」ことがある。まるでデジャヴのように、その光景を思い浮かべることができるのではないでしょうか。

 

「開けっ放しのペットボトルを投げ渡」すような状況は、悪ふざけか、若々しさ、怒涛、といった景を描きつつ、「水たち」はまさにその言葉通りに、烈しい勢いをともなって歌の中に飛び散ってゆく。

 

まだ割れることを知らない空中の瓶だよ僕らの今は例えば

 

これらの既視感は、だれもが一度は夢に描いたような青春が、「水たち」や「僕ら」のように、作中の主体に複数形が用いて語りかけられることによって、緩やかに「われわれ」の意識を取り込んでいるのかもしれません。

 

夏のはじまりのような今日この頃は、爽やかな読後感のままにこの歌に対する鑑賞を綴じたいと思います。

この歌集の白眉は、複数形の主体「僕ら」から、3.11を境に語られる〈私〉の吐露との、その煌めきの差異にこそあるのですが、それはまた別の機会に。

 

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