〈通草の実知っているひと〉と我が問えば十七人の全校生みな挙手をする

熊谷 龍子『森の窓から』(遊子堂  2014年)

 

 通草  あけび。秋にぱかっと実が開くので、「開け実」なのだと聞いたことがある。

 とても雰囲気のある実だと思う。

 灰紫というのだろうか、皮も深みのあるいい色をしているし、中身がまた、うっすらと白い半透明の膜から、黒い細かな種がほんのり見えていて、自然の造形の妙を感じざるを得ない。

 食べると甘くてとても美味しい。種が口にいっぱい残るのが難点だが、自然に生っているものの中ではとても甘い方の実で、うれしくて、かぶりついたものだ。

 山形ではきのこや肉を詰め、皮を油で揚げるなどしていて、それもほろ苦くて美味しかった。

 

 学校に足を運ぶ機会があったのだ。そして、子ども達にお話をする時間が。

 そこで、「通草の実知っているひと」と尋ねたら、全員が手を挙げた。驚くべきことだ。

 近年、授業をする際に、文学作品などに出てくる植物を子ども達が著しく知らないという問題がある。たとえば、短歌や俳句を取り上げるとして、その植物がわからなければ、その歌や句の意図を汲むことは難しい。カタクリやスミレは、見たことがない子が多いだろうと思うけれど、これは実体験だが、アサガオがわからないということもあった。そこを、画像などを使って補うのだが、説明を重ねるほどに、そこの隔たりを埋めるのが、厳しいなあと思われる時もある。

 もちろん、大昔から、いつの時代でも、こういう問題は生じていたのだろうが、急激な自然環境やライフスタイルの変化が、それをより甚だしいものにしているのではないか。

 だからこそ、十七人全員が通草の実を知っていたことに、主体の心も揺さぶられたのだろう。

 

 豊かな土地である。通草を当たり前のように知れる土地なのである。だが、その豊かさは、全校生が「十七人」というところと表裏一体だ。過疎、少子化の問題、それはこの学校が山間にあること、自然あふれる土地にあることとも、関わっている。

 

 「みな挙手をする」素直さも含めて、微笑ましくて可愛くて嬉しくて。だが、いくらかのさびしさもあって。

 それでも、この土地で触れたもの、経験したことは、確かに、子ども達を形作っている。

 「通草」もまた、子ども達の一部だ。

 

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