魚村 晋太郎


かんぺきなきゅうたいとなる夢をみていきつめているたんぽぽわたげ

伊津野重美『紙ピアノ』(2005年)

タンポポは春から初夏にかけて日本中でよくみかける花。
帰化植物のセイヨウタンポポが、在来種を圧倒して、現在見られるのはほとんどがセイヨウタンポポだ。
セイヨウタンポポは、がくのように見える部分が反り返り、在来種は反り返らず上をむいて閉じているところで見分けられる。
セイヨウタンポポの方が在来種より花の咲く時期がながく、種子の数も多いらしい。

陽射しのなかの白い絮毛はかわいらしく、子供のころ息を吹きかけて飛ばしたことのある人も多いはずだ。
お皿のようなかたちにつく花が、絮毛になるとまんまるくなるのは、考えてみると面白い。
黄色い花が、時間をかけてまるい絮毛になる。小さな祈りのようなものを作者はそこに感じた。

まんまるになれた瞬間、絮毛は風に乗って、飛んでゆくことができる。
いきつめている、という表現には、作者のそんな直感が表れている。
完璧、球体、という漢語が使われているが、夢の字以外すべてひらがなで書かれているところに、春ののどかな景色が感じられて効果的だ。

歌集には、病気とのたたかいや、母親との葛藤が深刻な影をおとしている。
そうした苦しみをかかえた作者でなくても、ひとりひとりの人間は、完璧な球体の象徴する全きすがたからは遠い存在だろう。
でも、ひたむきな人の思いは、いつか全き球体となって、誰かのもとへとどく。孤独な願いと信念が、やわらかな一首の背景にはある。