神谷佳子『原景』(2009年)
言葉届かぬことのもどかし相抱く力に告げて別れ来たれり
背をくぐめ地につながむと義肢作る若者のゐて人は立つなり
七草の七つたしかめ刻みたる白粥さほど草の香たたず
水満ちて面(めん)となりたる大川の音なく動く平(たひら)が動く
ヒマラヤシーダの樹下をぬけてゆく人の宙のまほらのやうな静けさ
くもり空はがせるやうに風のきてたんぽぽの絮(わた)ふはりと流る
雨はしる気配と気づくたちまちにテラスをたたく音となりたり
うきうきする、そんな韻律の作品を収め、神谷佳子の『原景』はある。装画は洋画家・麻田浩の作品「青い植物」。麻田作品は『葉脈』(2000年)などにも使用されており、神谷はあとがきに「存在の原風景を目指して描きつづけた麻田氏の作品に私はつよく魅かれる。表題の『原景』は、こうして自ずから決まった」と記す。その思いは、視線は、真直ぐに伸びる。それが、確かに韻律を生み出している。うきうきする韻律は健やかな断定を支えており、それが心地よい。日常が動き出す、そんな心地よさ。
あ、蝉と思ふたちまち揃ひ鳴く 台風すでに外(そ)れたるならむ
ふと蝉の声が聞こえ、たちまち多くの蝉が鳴きはじめた。台風が近づき、蝉も鳴きやんでいた。しかし、これだけ蝉が鳴きはじめたのだから、おそらく台風はそれたのだろう。
初句の「あ、蝉と」も二句の「思ふ/たちまち」も、工夫された表現だ。音を細かく分けながら、小気味よいリズムで一気に読者を引き込む。そして、動詞の終止形(思ふ、鳴く)、つまりU音の連続の穏やかな響きで、読者をやわらかに受け止める。
この動詞の終止形の連続は、時間をうまく掬い取っている。「思ふ」のあとの切断=接続が、「たちまち」という一瞬の時間を掴む。四句、結句は一般的な叙法。上句とのバランスがうまく図られている。そして、結句の「らむ」。推量の助動詞として十全に機能し、一首に広がりを与える。
まさしく、日常が動き出す、そんな一首だと思う。