未来より借り物をするさみしさに書物なかばの栞紐ぬく

光森裕樹『鈴を生むひばり』(2010年)

 

どの虹にも第一発見した者がゐることそれが僕でないこと

 

『鈴を生むひばり』は、端正な造本の、1ページ2首組の一冊。一冊は、一連「鈴を生むひばり」19首ではじまる。最初の見開きから次の見開きにページをめくると、この一首に出会う。もしかしたら一冊を象徴している一首かもしれない。はじめて読んだとき、ふとそんなことを直感した。多様な作品を収めた一冊なので、象徴する一首を選ぶのは無理なことかもしれないが、あのとき直感したのは、正しい、というより、私にとって大切な一瞬だったように思う。

 

ひまはりと書かれてしろき立て札に如雨露に残るみづをかけたり

高木(かうぼく)の淡きこもれび自転車のタイヤに夏の風をつめをり

しろがねの洗眼蛇口を全開にして夏の空あらふ少年

湧くごとくプールサイドにあしあとは絶えねどやがて乾きゆくのみ

昨夜(きぞ)のまま珈琲カップにのこる闇排水溝の闇にかへせり

ずぶぬれのコートを羽織るもし人に翼のあらばかく重たからむ

友人のひとりを一人の母親に変へて二月の雪降りやまず

 

光森裕樹は、静かに見ている。静かに自身を見ている。それは、受け止める覚悟だろう。

世界は大きい。その大きさを捉えるためには、ていねいに、細やかに描いていかなければならない。それは、小さなもの/ことの拡大ではなく、集合。ひとつひとつが、ひとつひとつの表情をもっている。

光森は、ていねいに、細やかに描いていく。「如雨露に残るみづ」「夏の風をつめをり」。もの/ことが、もの/ことと織りなすことがらを、やわらかにことばに置き換えていく。やわらかに。しかし、ことばに置き換えた責任は、引き受けなければいけない。「乾きゆくのみ」「闇にかへせり」。光森は、そのあとの、そう、「乾きゆくのみ」の、「闇にかへせり」のあと風景を見ている。

 

未来より借り物をするさみしさに書物なかばの栞紐ぬく

 

栞紐は、もともとソフトカバーの本ではほとんど見られなかったが、最近ではハードカバーの本でも少なくなっているようだ。機能だけを考えれば栞を用意すればいいのだから、なくてもいいようなものだが、花布とともにデザイン的な大切なアクセントなので、やはりないとなんだか物足りない感じがする。とはいえ、ソフトカバーの本が嫌いなわけではないから、筋の通らない、私の勝手な思いなのかもしれない。

「未来より借り物をするさみしさに」。美しい比喩だ。「書物なかば」はこれから読み進めていく場所。そこにそっと置かれている栞紐。「未来より借り物をする」。ああ、と思う。

「借り物」はすべて、「未来より」なされるものだと思う。未来を信じるから、借り物ができるのだし、借り物を返すために、未来を健やかなものにしようと思いをもつ。「さみしさ」。それは痛み、あるいは不安かもしれない。しかしそれは、未来とともに、自身を見つめる光森の誠実さなのだと思う。

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