嘆きつつ乳房を我に委ねたるをみなのこともいまはまぼろし

米口 實『惜命』(2013年)

米口實氏が亡くなったのは昨年の1月15日であった。およそ一年が経つ。死がそう遠くないことを予感しながら歌集を編集し、本が出来上がってくるのを待っていた。しかし、残念ながら歌集は間に合わなかった。没後ご子息による逝去の知らせを挟み込んだ『惜命』が送られてきた。

「後記」には2013年1月9日の日付が記されている。それから死まで一週間なかった。「後記」の内容は、師であった木俣修との愛憎をつづり、とても数日後に亡くなる人の文章とは思えない力があふれている。

名をなさず死ぬ歌びとを憐れ見て辛夷の花は夜ごと散るべし

辛夷の花が散る頃に自分の死期を予感していたのだろうか。この歌が辞世だという。淡々と歌っているようだが、歌壇的にめぐまれなかった恨みのようなものが伺える。それは本心であったのだろう。だからこそ「後記」のどこか痛ましい感じのする文章を書かねばいられなかった。

私は米口實の良い読者ではない。「眩」が送られてくるようになってから注目するようになった。その短歌を評する鋭さに私は感心したし、老年に至って歌を変えていく姿勢に打たれた。「眩」が届くのを楽しみに待つ一読者に過ぎなかったのだが、その私が唐突に死病を告げられた。ある親しさをもって老いと死を意識した米口實の歌に関心を持つようになったのは、それからである。

掲出の一首は、辞世とされた歌と同じ一連「さまよふ死者」に収められている。実際の死が来る前にトレーニングをしているかのような歌が並ぶ一連だが、ゆったりとした穏やかさがあるのがふしぎなくらいだ。近づく死の恐怖はただならぬはずだが、余裕がある。そしてこの一首、ういういしい女性との交情――それも今となっては幻のごとく茫々のかなたに懐かしく思い返される。寂しいけれど温もりがある。私は、この歌をこそ辞世と言って欲しかった。

 

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