縄跳びの描ける繭にひとりずつ児らはおのれを閉じ込めて跳ぶ

浜名理香(『流流』2012年、砂子屋書房)

 歌集のタイトルは「りゅうる」と読む。この場合の縄跳びは、一人でする縄跳びではなく、長い縄の両端を二人でもって、大きく弧を描くように回して、その弧の中に他の子たちがひとりずつ入って跳ぶ、あれであろう。昔は主に女の子たちが広場や路地などでやっていたが、最近はあまり見ない気がする。大勢で縄跳びで遊べるような広場や路地などが無くなってしまったこともあるのだろう。それにしても、本来「縄」は藁などを細長く綯ったものであるが、現在売られている縄跳びの「縄」は合成樹脂でできたものがほとんどである。素材は変わってきているのに機能だけで元の素材の名が残っているのは、例えば、コンクリート製であっても「枕木」という例もあるが、何か不思議な気がする。

 この一首の眼目は「繭」と「おのれを閉じ込めて」であろう。二人が回す縄の大きな弧が切り取る空間が「繭」だという。昆虫の蛹を保護する包皮である「繭」は内部と外部を完全に隔絶しているのに対して、縄が描く空間は外部に対して解放されている。正確に言えばその縄だけが移動しながら内部と外部を区切っているのだが、縄自体は言わば線に過ぎない。それでも作者は、そしてまたこの作品の読者は、頭の中でその線が空中に描く形を想定してしまう。その形は楕円に近い。まさに「繭」の形なのである。同時にそれは聖的な空間と俗的な空間を区切る「結界」でもある。

 一方で、その縄跳びの輪の中に一人ずつ跳びながら入っていく子供たちは、「繭」の外部から内部へ自らを「閉じ込め」ていくのだという。昔の日本などでは純粋無垢な子供は神の使いとも考えらえていた。結界に自ら跳んで入っていく子供は、もうそれ自体が霊的な存在なのかもしれない。

  自転車の車体むだなき裸にてチェーンを付けて雨に濡れおり

  夕映えは遠くにありてことことと路面電車がレールをゆけり

  さくらメール出して返事のかもめーるお互い急ぐ恋にはあらず