生沼義朗『関係について』
(2012年、北冬舎)
現実の都市風景ですが、どこかSF的にも見えます。1982年公開のアメリカ映画『ブレードランナー』を連想するせいでしょうか。
近未来、けばけばしい電飾のなか酸性雨がふりしきる、希望に見放された雰囲気の街が舞台の映画でした。
この歌にけばけばしさはないものの、ビルの鏡状の壁面に映る電光文字を思い描くとき、ふと違和感が生じます。左右逆転の像ですから文字の裏側を覗くかのあんばい。
すると伝えられている事実にも裏側があるのではないか……。
また、逆さに映る、ではなく〈流る〉と言っているので、情報が文末から逆流してくるような錯覚にもとらわれます。つまり時間が逆行するような。
電光ニュースは戦前からあり、電球が用いられていたものが現在ではLEDなど種類も増えましたが、見る側の認識の回路はさほど変わらないでしょう。
それより、環境が変わりました。むかしは、窓ガラスはともかく〈ビルいちめん〉に文字が映ることはなかったはずです。
そうした新規の事象をどう感じているかは、書かれていません。ちょっとしたユーモアともとれます。しかし、前述のようになんとなく、ものごとの裏側を考えてしまいます。
裏から操られているような、もやもや感。
日の丸に寄せ書きありぬ大方は白いところに書きたがりおり
表と裏ならぬ、中心と周縁。いずれも、ものごとを対比し反転させて見る作者の癖があらわれています。ドライなようで、どこか憂鬱な現代人の視点です。