近づく人椿を踏めり仔細もつ人と思ひてすれちがいたり

橋本喜典『な忘れそ』(2012年、角川書店)

 山茶花の花は花びらがばらばらになって落ちるが、椿の花は花首ごと落ちる。椿の落花のシーズンは椿の樹の下に無数の花首が落ちている。そこを歩く時、普通は花首を踏まないように避けながら慎重に歩くであろう。

 しかし、この「人」は椿の花首を踏みながら、歩いてくる。恐らく何か思い詰めたような表情をしている。反対側から歩いてきた作者は、何か悩み事を抱えている人なのだろうと思う。「仔細もつ」とはそのようなことを指すのだろう。人間は心の中に悩み事があると、外部の状況に関心が薄くなる。悩み事で心の中がいっぱいになっていて、椿を踏んではいけないという配慮が働かなくなるのである。

 作者は、踏まれる椿の花(多分、まだ、落ちたばかりで、色と形と鮮やかさを保っている。)を少し可哀想に思い、それを無造作に踏んで行く人を少し恨めしく思う。しかし、その後で、その人が椿を踏んでいくのは、きっと心に深い悩み事を抱えているからに違いないと、同情を寄せる。

 何でもないような日常のささやかな一場面であるが、人生の深さを思わせる一首である。作者の長い人生経験と厳しい短歌の修練が椿の落花を踏んでいくという無作法な人の内部の深い苦悩を思いやっているのだ。

 因みに、歌集タイトルであるが、古い日本語では「な…そ」の形で動詞の連用形を挟んで相手に懇願する意を表す。現代語で言えば「どうか…しないでおくれ」ということになる。「あとがき」に作者は「現代は、あの敗戦後から、ふたたび迎えた悲歌の時代である。私はこういう時代に歌を詠む一己の存在である。それを忘れることなく、生きて在る限りは詠(うた)いつづけようと思う。」と書いている。

  わが影と別れてしばし木の蔭を出でてふたたびわが影に会ふ

  静止せるクレーンの赤き先端が撓ひて立てる虹に触れをり

  影ありて美しきかな千年の大樹も根方にころがる石も