釈 迢空『海やまのあひだ』
(1925年、改造社)
「全○○」というタイトルの文庫本が出ると、形態の身軽さに引かれてつい買ってしまいます。
今年6月刊行の角川ソフィア文庫、折口信夫著・岡野弘彦編『釈迢空全歌集』も永くたのしめそうな一冊。
一首のみで引用されることも多いこの歌を全歌集のなかで読むと、逆編年体の第一歌集で最初のほう(大正10年作)におさめられた連作中にあること、「下伊那の奥」の川に取材しており仏教的な幻想を帯びていることがわかります。
初読時には「しづく」という見慣れない動詞に強烈な印象がありました。小学館の『日本国語大辞典』では「沈」の一字表記により「1:水の底に沈んでいる 2:水に映って見える」という意味が記されています。
2の現象をうたっていますが、顔が沈んでいると言い切ったところで、自己の死相を見ているとしか思えなくなります。しかし宗教的な観念である来世があるならその恐怖から解放されるはずという予想を裏切って、〈寂しくあらむ〉、心が救われずいるだろうという絶望を述べていることが衝撃でした。
この歌は西行の『山家集』の恋歌〈あはれあはれ この世はよしやさもあらばあれ 来ん世もかくや苦しかるべし〉をふまえているのだろうという説があります(木村純二『折口信夫――いきどほる心』講談社)。
ただ、折口=迢空の感じ方は〈苦し〉ではなく〈寂し〉です。本年2月13日のこの欄でも触れたように、迢空の歌を一生支配したのは、孤独の念に尽きると思われます。