みなと風 吊り広告を取り替えるひとの眼鏡に虹は映れり

西藤定「夏天(かてん)」(「本郷短歌」第五号:2016年)


(☜10月6日(金)「学生短歌会の歌 (22)」より続く)

 

学生短歌会の歌 (23)

 

海辺の駅か商店か。海辺の風のなかで、吊り広告を替える作業をしている人がいる。その人の眼鏡には虹が映って見える――
 

眼鏡に映る虹は、空に出た虹が映ったものだろうか。それとも、眼鏡のレンズが生み出す虹模様だろうか。「みなと風」に始まる美しい情景の一首であるから、前者で解釈したい。大空の虹という大きなスケールのものが個人の眼鏡という小さなものに映る点に、それこそ光がぎゅっと収斂するような面白さがある。
 

風のなかで、広告を取り替える作業は多少やりづらいかもしれない。けれども、虹が出ていることにも気付かずに、作業にあたる姿。時代が時代だから、どうしても労働の歌(あるいは、労働する人が出てくる歌)は現代の働きにくさを描いたものに取られやすいが、
そちらの傾くことのない、すがしい一首となっている。
 

マレー語と決めつけて聞く口論のアクサンごとに澄む明かり窓

 

同じ連作からもう一首。
 

街で外国人を見かけたか。異国の言葉で口論しているようだ。はっきりと分からないが、マレー語だろうか。そうだきっとマレー語だろう、と自ら納得しながらその様子を見ている。
 

口論というのっぴきならない状況であるが、主体の意識は「マレー語と決めつけ」た言語のおとの運びに集中している。言葉の意味は分からないけれども、耳に残る特有のアクセントごとに夜の中で明かり窓が澄み渡るかのような、あたたかさを感じるような感覚になる。
 

広告を張り替える人の眼鏡に虹を、口論する人の言葉に明かり窓を見る。美しいものがささやかな場所に宿るということに、あらためて気付かされる二首である。
 
 

(☞次回、10月11日(水)「学生短歌会の歌 (24)」へと続く)