今井 恵子


馬上とはあきかぜを聴く高さなりパドックをゆるく行く馬と人

小島ゆかり『馬上』(2016年・現代短歌社)

 

秋の到来を感じるのは、やはり皮膚感覚だろうと思う。まだ暑さの残る陽射しの中に、乾いて涼しい風がふっと膚をなでていくと、もう秋なのだと空を見上げたりする。引用の歌の秋はもう少し深まっているらしい。馬も、馬上の人も、それを見ている作者も、秋の中にいる。連作「馬上」の中の一首で、作者は信濃の草競馬を見に来たのである。競馬というからには真剣勝負に違いないが、大観衆に囲まれた中央競馬のような緊迫はなく、土の匂いのする伸びやかな競馬である。その馬の背で聞く秋風の音を想像する。あそこはきっと秋風の音がよく聞こえるだろうと。一連には、【あきかぜの馬上をおりて歩み出す人にしたがふ人間の影】や【西空に血のいろさして馬と人と顔を寄せ合ひ帰りゆくなり】などがあり、季節と馬と人との交感がある。

 

前の人の体温残るタクシーにふかくすわりて体温残す

ちる花におくれて風にきづくときわたしも風のなかなるひと木

「前世のどこかで一度蜂でした」といふ人ありてみな空を見る

 

『馬上』は父の介護につづく最期などが歌われ、実生活はなかなかに大変だったろうと推察されるが、間に差し挟まれる人懐かしい歌が心に沁みた。タクシーの前の乗客とは顔を合わせるわけではないが、それゆえに、「前の人」として抽象的実在を生み出している。自覚のないままに、人は人と交感し繋がっている。社会というのはそういうものだろう。「わたしも」「みな」など、どこでも平易に遣われる言葉ではあるが、歌集一冊の中で読むと、他者との程よい距離を保ちながら、人間の膚のぬくもりを感じさせる言葉であることに気づく。