吉田瑞季「旅人のフォークロア」(「本郷短歌」第五号:2016年)
(☜10月9日(月)「学生短歌会の歌 (23)」より続く)
学生短歌会の歌 (24)
先生が指差すものをドイツ語で答える。いす、りんご、カーテン…と続いて、先生が「これは?」と尋ねてくるが、何かを指さしている様子ではない。一瞬考えた後に気がつく、目には見えないが確かに感じられる空気の流れ――私は、「風です」と答える。
ドイツ語の授業風景だろうか。あるいは、りんごや風が登場することからか、もと落ち着いた部屋での個人レッスンのような、静かな時間を感じさせる佇まいの歌だ。
旧制高等学校でドイツ語が教えられていたことや、今ではなかなか学ぶ機会のないためか、「ドイツ語」という言葉にはノスタルジックな感傷を誘う響きがある。この点も、歌に読まれた場面の色彩を淡く、セピア色のように変える効果があるのではないか。
先生がドイツ語の学習として指差すものには、法則があり「いす」「りんご」「カーテン」「風」のいずれも男性名詞となっている。「風」は目に見えないところが一首の面白さであるが、おそらくは他の単語には不定冠詞が付くのに対して、「風」には定冠詞のderを付けられるであろうから、その点も先生としては少しひねりを加えた質問、ということになるのだろう。生徒である私を試すようであり、信頼しているようでもある点があたたかい。
眠るときわたしの中の半島に青空と崖とあなただけ、ある
同じ連作からもう一首。こちらも、静かでノスタルジックな想いを呼ぶ歌だ。
眠りに落ちていくときに、自分自身をおおきな半島のように感じる。そこにある崖に「あなた」を見るが、大自然と一体化した私から何かができるわけではない。その風景をただやさしく見守るだけである。
(☞次回、10月13日(金)「学生短歌会の歌 (25)」へと続く)