遠くまで行った夢だよ トーストを焼いて渡して連れ合いに言う

三枝昂之『それぞれの桜』(2016年・現代短歌社)

 

夢の筋道はとりとめないものだが、覚めた後、何か感情を残すものだ。恐怖であったり、悲哀であったり、懐かしさであったり。いずれにせよ、夢は自己の無意識が生み出すものだから、説明のつかない感情であっても、自分に潜むものにはちがいない。

 

引用の歌は、朝、「連れ合い」に、夢の内容を語っている場面である。「トーストを焼いて渡して」という、暮らしの時間にすぐ埋もれて忘れてしまうような、何気ない夫婦の会話である。

 

「遠く」という距離感は、ひどく主観的だが、それゆえに、いまだ「夢」を曳きずっているときの気分や、言葉のままに受け止めている「連れ合い」との交感が想像される。歌集には【この丘と決めて二人は移り来ぬさねさしさがみと武蔵の境】【子が生まれやがて子が去りこの丘に積もる歳月三十二年】もある。日常の背後に、過ぎ去った時間への感慨が流れているのである。

 

まだ細き白樺の木が立っている創刊号の表紙の野辺に

まず樹々がさわぎはじめて雨走るファミリーマートを丘の起伏を

丘陵の起き伏しに沿うこの町はみな雪を抱く屋根となりたり

 

「あとがき」で作者は「オランダ・ハーグ派」の絵画に触発されたといっている。手法の発見である。暮らしの周囲に広がる山野を、東京郊外の風景として捉えなおしていることがうかがえる。文体が穏やかな気分を運んでくる。積み重ねた時間への感慨が大きい。