無花果の果実ざくりと開かれて雨の市場に身をさらしをり

服部崇『ドードー鳥の骨‐巴里歌篇』(2017年・ながらみ書房)

 

果物売り場に無花果が並ぶ季節である。割に栽培が容易だそうで、農家の庭先などに植えられている無花果の木をよく見かける。ワイン煮にすると美味。無花果はアラビア原産の果実で、古くから栽培されてきたという。17世紀に、ペルシャから中国を経て日本の長崎に渡来した。西洋での栽培植物としては1万年以上の歴史があるともいわれ、林檎のかわりに「禁断の果実」とされ、女性の性的隠喩と考えられたこともあったそうだ。

 

掲出の歌は、小題「プロヴァンの水路」のはじめに、【中世のみづを湛へてプロヴァンの水路は夜の暗渠に続く】に続いて置かれている。プロヴァンは、フランスのセーヌ=エ=マルヌ県の、世界遺産に登録された中世市場都市。

 

3年間のパリ赴任の間の見聞になる『ドードー鳥の骨‐巴里歌篇』の中で、この一首を読むと、たとえば無花果のような果物でも、市場のスケッチをしながら、日本国内とは違った感触をもち、結果的に絵画や文学に受け継がれてきた文化的な背景が付与されるように思う。西洋の厚みに触れる感じだ。

 

ザリガニのハサミに指を挟まれて四百年のカラバァジョの絵

アコーディオンの男降りゆく一駅の間をあかるき曲弾きをへて

行きつけのカフェの給仕と初めての握手を交はすテロの翌朝

 

巻末の解説で谷岡亜紀が、「街角の思索者」の趣があると言っている。なるほどと首肯した。