米川千嘉子『たましひに着る服なくて』(1998)
『たましひに着る服なくて』は哀しい歌集である。
それは、現実だけを生きる多くの人と違って、その現実を見つめ直し、短歌として再構成するときに、現実よりも一歩深いものが見えてしまうからである。作者の歌人としての明晰さがそうさせるである。
しかし、歌人はそれを逃れられない。
悲しみがあればその源は何かを考え、それに言葉を与えて見えやすくし、その言葉にみづからが打ちのめされる。
老人特有の臭いがするとか薬の臭いがするとか、いやだなとか我慢しようとかいうレベルにとどまるのが一般の人。
しかし、歌人はそこに、「時間」を読みとってしまう。
一人の人間が老人になってゆく長い長い時間。熟成したような饐えたような時間の匂いがある。
不機嫌なのは、ただ「今」の体の不如意を嘆いてだけではないのだろう。長くこの世を過ごしてきた自分の時間に対する苛立ちが含まれるのだろう。
ご老人であるお父上から、そういう時間が垂れていると描写したのも的確。
老人の「にほひ」と鈍く、時間の「匂い」と鋭く、書き分けたのももちろん効いている。
老人がふえ、介護する人もされる人も増え、今歌誌をあければ介護の歌がたくさん載っている。だが、これはいわゆる介護の歌ではない。老いを生きるとはどういうことか、下の句「不機嫌に垂るる時間の匂ひ」に端的に表されている。この歌を読んだ瞬間、そうその通りと。
これは絶対老いた父の歌でなければならない、老いた母ではイメージに合わない。また、鑑賞文も的確で過不足無く説明されており、この歌をより深く理解することができた。「一人の人間が老人に~饐えたような時間の匂いがある」の部分が特によかった。 お2人とも、毎日ごくろうさまです。日々楽しみに読んでいます。残り少なくなりましたが、これからも
いい歌を、私のような初心者に紹介してくださいね。