刈られたる男の髪の燃えつきて夜の集落に理髪店閉づ

小中英之『わがからんどりえ』(1979)

 
元々髪の量が多い上に、無精でなかなか美容室に行かないので、数ヶ月に一度美容室で髪を切ると、私の座る椅子の周りに黒々とした髪の山ができてしまう。頭が軽くなったのは嬉しいが、さっきまで私の一部であったものを見ていると、うっすらと喪失感を覚える。

美容室で毎日大量に出る髪は、いったいどこへいくのか。私の住む市では、家庭から出る髪の毛は燃やすごみ、理髪業者が出す髪は事業系ごみに分類されているようだが、市町村によって扱いが違うようだ。

気持ちの問題かもしれないが、髪とは何となく、捨て方に困るもののような気がする。昨年の夏、大量の髪の毛を海辺に捨てた理髪店従業員が書類送検されたというニュースがあり、瞬間的に「妙な話だな」と感じたのだが、もし捨てられたものが紙とか空き瓶とかであったら、それほどの違和感はなかったと思う。髪という人間の身体に関わるものだからこそ、一瞬禁忌に触れたような感触があったのだ。

さて、この歌に登場する理髪店では、店を閉じる前、その日に出た髪を燃やしているのだという。それが作者の想像であるのか、実際にそういう方法をとっていたのかは知らない。けれども、淡々と焼き捨てられる髪のイメージには、静かなインパクトがある。

もとより、都会にあるような洒落た美容室ではない。集落の男たちがぽつりぽつりと訪れる、小さな理容室。男たちは、勢いよく刈り取られた短い髪に格別思い入れを持つこともなく、日々の作業に戻っていったのかもしれない。

にもかかわらず、一首には見間違えようもなく、ある種の傷ましさが漂っている。散髪した男の姿も、髪を燃やす理髪師の姿も、ここにはない。理髪店の店先でくるくる回っていたポールも、もう明かりを落としてしまった。あるのは、髪を燃やした後の不穏な匂いと、集落を包み込む暗い闇夜ばかりである。

最後に、だいぶ季節外れになってしまうけれど、『わがからんどりえ』の中でも特に美しいと思う歌を引いておく。

 
月射せばすすきみみづく薄光りほほゑみのみとなりゆく世界

繚乱のこころひとつにひきしぼり冬至ゆふべの菊坂くだる

ここまでの月日きらきらきさらぎを無傷にすぎし友情あらず

 
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