われに似るさが持つ者をはぐくめる妻をひそかに懀みゐるなり

一ノ関忠人『群鳥』(1995)

 

この欄の、お相手の一ノ関忠人さんの一首を観賞してみたい。この一首をふくむ一連には「火をはらむ」という小題がついている。初めて子どもを授かった妻を詠んだ一連である。いろいろな言い方があるが「みごもる」と「はらむ」では少しイメージが違うように思う。みごもるは、女性が胎児と一緒にこもっている感じ、みずみずしい羊水のイメージがある。「はらむ」に火種のような熱いものを身体の中に宿した感じがする。

 

抽出の一首、一瞬どきっとして驚くところもあった。でも女性としてこの歌を嫌悪する感じはなかった。手放しで身籠りを喜ばれることがきっと当たり前なのだろうが、なにかもっと複雑な感情をこの一首に感じた。喜びと憎しみが混ざり合い怖れへと繋がって行っている。

 

獮生雛飾るらむとして妻ぞゐる火をはらみ爛々とかがやくまなこ

 

同じ一連にこのような一首もある。「火種」と私も書いたが「火をはらみ」と一つの命を体内に宿していることへの比喩がある。そのあとのまなこの表現もよく伝わってくる。みごもった女性の不思議な強さ、体の奥からエネルギーが漲って生命力にあふれている。男性としてみごもりに対する原初的な恐れ、不安、生まれて来るであろうもう一人の自分に対する憎しみ、一ノ関の歌はそのような昏さの中にいる。

 

この頃はマタニティライフを男性も体験したり、分娩も手伝ったりと男性が女性を理解しようとする動きが積極的である。社会的にはそのような動きがある中でこのような原初的な恐れというのは見えなくなりつつある。しかしみごもった女性の内部にも十月十日、このような不安や昏さはあり、私には作者が実はそれを深く感じとっていたように思える。

(作品の中の漢字の正字表記を一部新字で記載しました。)