ちと一本拝借するぜ蕗の葉を傘に旦那は雨の花街

八木幹夫『青き返信』(2013年)

 

八木幹夫は詩人である。野菜尽くしの『野菜畑のソクラテス』で私は知った。高校の教員をしていた頃、八木の詩は評判がよかった。私が教えていたのは定時制高校の生徒、昼働いて夜学ぶ、そんな時代の定時制ではない。他に行ける高校がないから定時制に。低学力、貧困、障害、暴力……さまざまな理由があって夜の教室に通う。そんな生徒に八木の詩は受け入れられたように私は感じた。

 

ちょいといっぽん/はいしゃくするぜ//雨は北斎 江戸の渡し場/浮き世草子の絵の中を/ざんざ/ざんざ/ふりしきる (略) ほおっ/とんだ雨に出くわした/傘がねえので/蕗いっぽん/百姓衆にはすまねえが/だまって/かりてきちまった//濡れたいねぇ/濡れたかねえやい

 

この歯切れよさ。この艶。ここだけでは了解しにくいだろうが、人間味とほのかな色気、私はこの詩が好きである。八木は、辻征夫のある種の詩を「現代詩の時代物」と呼んで評価している(『余白の時間―辻征夫さんの思い出』)が、この詩こそ時代物ふうではないだろうか。『野菜畑のソクラテス』には、そんな詩が満載、楽しく、ほろ苦い。

その八木が、一冊の歌集を編んだ。実は八木の文学歴は短歌にはじまる。石川啄木に憧れて14歳から短歌に熱中する。やがて現代詩へ。それからほぼ半世紀をすぎて噴き出した「間欠泉」(「青き返信」)がこの一冊に編集された。

巻頭が「詩集「野菜畑のソクラテス」に寄す 変奏十四首」であり、この一首は紹介した詩「ふき」に対応した短歌である。長歌に対する反歌のように受け取っておけばいいだろう。この歌の場合は、詩のエッセンスを凝縮したような一首である。詩が時代物ふうであったようにこの一首も時代物的である。言葉遣いの楽しさがある。達者なものだ。

八木の若い時期の短歌作りは、おそらくかなり徹底したものであったと思える。そうでなければ、これだけうまく五七五七七には収まらない。

 

野に放つ乳牛かなし放たれてなお人に添うその性かなし

言いよどむ声ひくき漁夫父祖の地も墓も流され海にふる雪

神不在仏も不在うみやまのいかりこそ神おらぶうみやま

 

3・11以後のこのような作品をみれば、八木の短歌の力が分かるだろう。ジャンルの越境には困難がある。しかし、八木にはぜひ歌いつづけ二冊目の歌集をそして同様に詩集を期待している。