前田 康子


アパートの二階に人の帰りきて灯すとき窓の氷柱(つらら)もともる

柏崎驍二 『四十雀日記』(2005)

 

盛岡在住の歌人の冬の歌。関西で育った私には積雪を見るのも年に数回で、氷柱も生まれて一、二度しかない。結婚してしばらく京都の山科というところに住んでいた頃に、雪がよく降り旧街道沿いの古い家の廂に氷柱ができていた。

 

雪国の人の冬の歌には、季節の厳しさというものがまず詠まれるが、この歌は美しく温かい一首だ。窓に映った灯りの色が、外の廂の氷柱にも映っていて、一首が幻想的に見えて来る。きっと中にいる人は気づいていないのだろう。アパートに帰ってきて灯りをつけるのだからだれも待つ人のいない一人暮らしの部屋かもしれない。寒い部屋が早くあたたまればいい。

 

信号機の下に積まれし雪の嵩(かさ)に青きひかりが点滅しをり

降る雪に頤(おとがひ)引きて行くときの胸の鬱悒(いぶせ)さを冬の常とす

 

『四十雀日記』にはこのような雪の歌がある。一首目は除雪機で積み上げられた雪だろうか。信号機の点滅の光が白さに映っている。こういう光景も日常よく見られるものだろう。二首目、雪国の人々の気持ちである。無言で顎をぐっと引いて耐える様な雪の日々、それを「冬の常とす」といっている。「頤」と「鬱悒さ」という字が、ぎしぎしとしていて動きにくさのようなものを連れてくる。

 

柏崎の歌には冬が終わり、春を喜ぶ歌もたくさんあるが、鬱悒さに耐えつつも、辛い冬に身をおくことに清らかさを感じているところもある。

 

樹の陰の草にのこれる雪白し星の稀なる夜のあかりに