まなざしに耐へむと思ふ仄ぐらき杉やまは杉の息の青むに

河野愛子『月とスカーフ』(昭和五十六年)

 百首余の厳選された自選歌集のなかの一首。私の持っている本は、見開きにこの歌が万年筆で書きつけてあり、「1981・秋 愛子」とある。河野(こうの)の特に気に入っている歌のひとつだったのだろう。これを贈られた男性の名前も書かれているが、こういう歌を書きつけて寄越すというところに、美女でもあった河野の自負と、微妙な媚態をひらめかせて愉しむ心持ちが感じ取れる。謹呈票には、「謹呈」という決まり文句が印刷されていなくて、「挿架」とある。これも洒落ている。

「仄ぐらき杉やま」には、杉の放つ木の生気が充満している。それを「杉の息の青む」という擬人法で表現したとたんに、一首は人間の性的な欲動のうごめきを象徴するものとなって、「まなざしに耐へむと思ふ」というのは、そのような情欲を底に秘めた目で自分をみつめられることに耐えようと思う、という意味にしかとりようがないものとなる。もとめ、又もとめられる男女の性愛の世界の深さを、堂々と正面から格調高くうたった点で、「アララギ」系の女流歌人の中では、河野が随一であろう。性行為の種々相を直接的な言葉で描くことばかりが、性を表現するということではない。

 

逆さまに落ちゆく或る日春ふかく愉しき一片の蝙蝠として

 

どのようにも読み得る一首であるが、「逆さまに落ちゆく」一片の蝙蝠は、必ずや作者自身のある日の生の実感が、仮託されたものであるだろうし、そのような蝙蝠をみている視覚的な喜びも、ここには確かに表現されているのである。